【第2回】 アメノミナカヌシとのTNGR

お散歩大好きな犬でさえ

「お外に行きたい」

とおねだりはしても冷房の効いた部屋の中の涼しさと冷房を入れていない部屋の外の暑さを比較して、お家の中でもこんなに暑い。お家の外はもっと暑いと冷静に判断し、おねだりを撤回して涼しい部屋の中にUターンする厳しい暑さが続いております。

「家の作りやうは夏をむねとすべし」

 との言葉を今でも不動産会社が住まい探しの基本として引用するように日本の夏は古来人に厳しい季節でした。

 鬼の霍乱。鬼も霍乱を起こすほどの厳しい季節。昭和初期の新聞には暑さいあまり意識混濁した状態で彷徨っているところを保護されたり、暑さのあまり刃物を振り回し殺人事件が起きたりと、冷房のある時代の有り難さを実感させてくれる記事も残っております。

 どうにかしてこの暑さを乗り越える知恵はないものかと考えたのか、日本では夏といえば怪談の季節。

 怪談牡丹灯籠の原作者である三遊亭圓朝の菩提寺である全生庵は8月の一月間に限り、所蔵している幽霊画を一般公開いたしますが、同じように夏の季節だけ開かれるお化け屋敷が多いのも私達の中に怪談は夏の風物詩という意識が染み付いているからに他なりません。

 ところで「怪談は夏の風物詩」というのは世界共通のことではありません。所変われば常識も変わる。アメリカではお化け屋敷の季節はハロウィンのある秋。イギリスでは怪談は冬に語るもの。

 ねっとりとした日本の夏の暑さを凌ぐには怖さで暑さも忘れる夏が良く、日本より緯度の高い欧州の長い冬を過ごすには、それぞれが知っている怪談を披露しても存分に時間のある冬が良い。

 所変われば違うものもあれば、所変わってもどこか似ているものもある。現在のアイルランドはプロテスタントが多い北アイルランドを除けば、ほぼカトリック国家。

「妖精注意❗️」の道路標識のあるほど、妖精が暮らしの中に生きているアイルランドの妖精達は、かつてアイルランドの住人達に信じられていた神々が、誰からの崇拝も受けず、供物も捧げられなくなっていったことで、段々と小さくなっていき妖精になってしまったという説がある。

 不思議な力を持った神でない小さな隣人。

 この小さな神々は日本にもいる。妖精ではなく妖怪と呼ばれる不思議な力を持った隣人。妖怪学の権威として知られる水木しげるは

「妖精と妖怪は同じもので、同じ存在を西洋では妖精と捉え、日本では妖怪として捉えたのではないか」

 と書いた。信仰の対象ではない。けれど人にはない力を持った存在として畏れ、尊重することを忘れてはいけない相手。

 この妖精が住まうのが丘の地下にも、海の彼方にもあるという常若の国。そこに棲まう者は常に若い。海の彼方の常若の国からやって来た姫の求愛に応じた騎士は

「姫と一緒に行ってしまえば二度と会えないだろう」

 という父王の嘆きに

「すぐまた帰ってくるから」

 と約束し、常若の国へと旅立つ。常若の国で姫の父である妖精王の祝福を受けて結婚した騎士は、素晴らしい三年間を過ごした後、故郷の父王や騎士団の友人達に会いたくなる。

「故郷に帰りたい」

 夫の頼みを聞いた妻は、願いを受け入れる代わりに固く誓いを求める。

「もう二度と会えなくなるかもしれないと思うと悲しい。あなたの故郷は、既にあなたの知っている故郷でないの。聖人や僧侶で溢れ、あなたが率いてきた騎士団も過去のものとなってしまいました。

この白馬があなたを故郷にお連れします。けれど、どうか白馬から降りないで。あなたの足が地に触れたら、あなたはもう二度とここに戻ってくることは出来ないの」

 けして白馬から降りない、との誓いを求める妻に約束し、騎士は白馬に跨り海を越える。懐かしい故郷は、騎士が知っていた頃とはすっかり様変わりしていた。友人達の家はなく、野も山も小さく縮んでしまったように見えた。

 変わってしまった故郷で騎士は、小人が小さな馬に乗ってやって来るのと出会った。小人は騎士の大きな体に驚き、興味と好奇心で近寄ってきた。

 騎士は近寄ってきた小人達に、自分が残してきた人達について尋ねる。

「あなたの言う騎士団とその首領である騎士のことは色々な書物に書かれているから知っている。騎士は妖精の娘と常若の国に行ってしまい、父王や友人達が悲しんだがとうとう帰ってこなかったということです」

 父王の館があった場所は雑草が生い茂る廃墟となっていた。思い出残る他の地はどうなっているのか、と彷徨っているうちに盤石の下から抜け出そうと四苦八苦してい小人と出会う。

 騎士は片手で石を掴んで脇にどけ、下敷きになっていた小人を救ったが、力がかかっていた手綱が切れて、騎士は落馬し両足を地面につけてしまう。

 騎士の足が地面についた途端、白馬は高い嗎と共に駆け去り、同時に騎士の姿からあっという間に若さが失われる。残されたのは時の流れを一挙に受けた老人。

 騎士団の首領だった老人は、妻にも、父にも、かつての友人達にも二度と会うことは叶わず、失われた日々の思い出と一緒に変わり果てた故郷に取り残された。

 常若の国は異郷の地。常若とは人ならざぬ者の証。この常若というものについての考え方も日本と海外では異なる。人にはない力を持つ。だから神は常若だ。

人ではないものに、人とは異なる状態を人が求めるのは不思議もない。

 海の向こうの国々では、神々のみが得ることがかなうものを食し飲むことで神々は常に若さを保っていた。

北欧神話では常若を約束する黄金の林檎を管理する女神が巨人族に攫われた時、常若の実を得ることがかなわなくなった神々の身に老いが訪れた。

 その老いは、「女神が巨人族に攫われる原因を作った」と怒り狂った神々に責め立てられた火の神が、神々の命令に応じて巨人族のもとから女神を救い出すまで続いた。

 常若の実を再び得られるようになったことで神々に若さが戻り、再び老いとは縁のない身に戻った。

 日本の常若の考えは海外とは異なる。日本の神は常若の実を食べているから常若なのではない。

 日本は神様は新しくなっていく、という考え方があった。

 日本では神は死ぬ。日本の神は朝生まれ、夜に死ぬ。そしてまた朝生まれるから常に若い。

人はずっと生きているが神様は半日しか命がない。

毎日生まれて、毎日死ぬ。だから、神様は常に若い。そういう考え方が日本にはあった。

ここで話は人類の始まりに戻る。種としての人類の起源がアフリカにあることは今では広く知られている。

人類の始源とされるホモサピエンスとネアンデルタール人の祖がアフリカに現れ、人になっていく。

「人類」という言葉は、人類の進化の文脈ではヒト科、ヒト亜科、ヒト族、ヒト亜族、ヒト属生物に対して用いられ「人」のみを指す言葉ではない。

 枝分かれする以前の状態から、どうやって「人」は別れ、今に至る「人」とへと進化していったのか?道具を使う?それだけでは充分ではない。「人」以外の哺乳綱霊長目に属するものでも道具を使う種族は珍しくない。

 では「人」になるとはどういうことか?「情報を共有する」ことが出来て「哲学が生まれる」。これが「人になる」ということ。

「情報を共有する」ここまでは人以外も出来る。有名な例で言えば幸島の猿。雌の子猿が餌としてもらったさつま芋を小川で洗うと泥が落ちることに気がついた。

 泥が落ちたさつま芋の方が美味しい。一匹の小猿がしたことを他の猿達も真似するようになっていく。

そのうちに、ただ小川で洗うよりも海の水で洗った方が美味しいことに気づいた猿が現れる。

 他の猿達もその方がより美味しいと知って真似をする。情報の共有までは人以外の生き物にも出来る。

 従って、人とそれ以外の生き物を分ける決定的な違いは、その生き物が

「哲学を持っているか、否か」

 動物は、哲学など持たない。生きること、ただ生き延びることしか考えない。喜怒哀楽、動物だって感情は持つ。けれど哲学は持たない。

 では哲学とは、いったい何だろう?それを持ったが故に、人は始祖の地であるアフリカを後にした。

 人類が最初に持った哲学。

「東から昇ってくるあれが欲しい。あれがやってくると明るさと暖かさが来て、恐怖が消える。闇の中で次に襲われるのは自分かもしれないという恐怖が消える。

明るさと暖かさと安心をもたらすもの。毎朝、東の空に昇る、あの赤いものが欲しい」

 これが、人が一番最初に持った哲学。

「あいつ……あの暖かい赤いもの、あれが欲しい。夜になると死に、朝になると生まれてくる。あの赤いものが欲しい」

 あの赤いものは朝生まれ、夕方になると西の空に沈んで死ぬ。ということは朝、生まれたばかりのところを捕まえたら自分のものに出来るかもしれない。

 その思いが、人の足を東へと向かわせた。

 生まれたばかりのところを捕まえるより、死にかけ弱っているところを捕まえた方が容易くあいつを手に入れられるかもしれない。

そう思った人達は西へと向った。

 あいつは東の湖から昇ってくる。なら、そこまで行って昇ってきたところを捕まえればいい。あいつは西の山に沈む。なら西の山で待って降りてきたところを捕まえればいい。

 ところがちゃんと、あいつが昇るところ、沈むところで待っていた筈なのに、あいつは待ち構えていたその先から昇り、その先に沈む。

何故捕まえられなかったのかは分からない。けれど失敗したことは分かる。

「次こそは。今回は失敗したけど、次こそは」

 あの東から昇る赤いものが欲しい。その哲学を完遂する為に人類はアフリカを後にする。夜になると死んでいく。

だから昼間のうちしか捕まえられない赤いものを手に入れる為に、東へ東へ(一部は西へ)失敗を繰り返し続けながら、人々は旅を続ける。

 黒い人達は寒さに耐えられなかった。だから、あの赤いものが欲しいと思ってもアフリカから出ることが難しかった。

寒さに耐えられる白い人と黄色い人は、なんとかアフリカから出られたが、白い人は東の空から生まれた赤いものが天高く昇った後の強い光に弱かった。

 高地に上がれば上がるほど、あいつの光の強さは増してゆく。あまりの光の強さに耐えかねて、白い人達は山を越えられなかった。アルプス、エベレスト、天山山脈を越えることが出来なかった。

 寒さに強く、強過ぎる光にも耐えられる黄色い人達だけが山を越え、ユーラシア大陸の端まで辿り着いた。その遠い旅路も全ては

「東の空から生まれる赤いものを捕まえたい」

という哲学ゆえ。

「あいつがいれば、どんな時でも相手を視認することが出来る。敵か味方か。自分に害を為すものか、自分を守る仲間かなのかを見極めることが出来る」

 あの赤いものが空にいないと、この世界は真っ暗になる。あいつに似ている白く輝くものが空にあれば、真っ暗にはならないが、それでも視認のしやすさは、到底あいつに及ばない。第一白く輝くものが空にある時と、東から生まれる赤いものが空にある時では暖かさがまるで違う。

 あいつがいれば自分と同じ姿形をした仲間と連絡が取れる。自分を襲う獣達、夜の闇に紛れて、自分達を餌として狩りをする恐ろしい敵から身を守ることが出来る。

 人はどうしても、あの東の空から生まれる赤く輝くものが欲しかった。欲しくて、欲しくて仕方がない。手に入れようとしては失敗するを繰り返し、ユーラシア大陸の端まできた時に、今度は海から昇るあいつを見た。

 あいつを手に入れることを諦めきれない勇気ある人達はボートを漕いで海に出た。メラネシア、ポリネシア、ネイティブアメリカン。こういった人達はその勇気ある人達の末裔。

 しかし、そういう勇気ある人達は一握り。長い旅を続けるうちに、段々と

「本当にあの赤いものは手に入るのだろうか?」

 そう疑問を持つ者が出始めた。

 ユーラシア大陸の端まで来た。そこでも手に入らない。捨てきれない望みを抱いて、疑問と否定を繰り返しながら旅を続けた。けれど、ここは地の果て。これ以上先にはいけない。

 そして、そこでも輝く赤いものが手に入らないと分かって納得するしかないと分かった。

「あの海から出てくるものは取れない」

 そう諦めるしかないことを理解した。ところが、捕まえることを諦めるしかなかった赤いものを捕まえる為の方法を見出したものがいる。

水溜りの中にそれはいた。追い求めても手に入れることの出来なかったものが、そこにいた。

 水に映され輝く太陽。

「これならば、あの人を、あの暖かいものを、あの人の姿が天にある間捕まえておくことが出来る」

 太陽の光を受けて輝く水を見て、人はそう思った。この時、人類は初めて神様を捕まえておく為のツールを得た。

 無論、水はどこにでもある。アフリカからユーラシア大陸の東の果てまでの長い長い旅路の間にも、神様を捕まえられる方法に気づいた人たちはいた。

「ここで捕まえられる」

 そう思ったものは、そこで旅を止めた。アフリカにだって水はある。

「ここで捕まえられる!だったら寒い思いをしてまで、これ以上の旅を続けなくてもいいや」

 そうしてアフリカに残った人がいる。

 エベレストの手前で、氷河から流れ出す水に映る太陽を見て

「あ、捕まえられた!これでもうあの高い山まで行かなくてすむ」

 そう高い山を越えなくていい理由を見つけて、そこに留まった人達がいる。

「やだ、やだ!水に映った影じゃ嫌だ!本当のあの人を捕まえなくちゃ嫌だ!」

 そう諦めきれなかった人達だけが、失敗を繰り返しながら東へ、東へと進んだ。そうして東の果てまで進んだ後、それでもやっぱり「東から昇るあの人」を捕まえられないと分かった時、初めて

「太陽が映った水を神とする」

 という考え方が出た。太陽が映った水を神としたことで、そういう捕まえ方を良しとした。

 だが水というものは形ないもの。形ないものは捕まえられない。「太陽が映った水を神とすること」で、ずっと欲しくて欲しくて堪らなかったものを捕まえた。

 捕まえたものは逃したくない。ずっと自分のもとに捕まえておきたい。水溜りだと太陽が水溜りの上を通っている時しか捕まえられない。

 海だと太陽が近くに昇った時にしか捕まえられない。太陽は動くもの。天高く昇り、遠くへ沈む。

 朝、海に映る太陽に「お日様を捕まえた」と思っても、すぐに遠くに行ってしまう。一瞬しか捕まえられない。

ずうっと、あいつを捕まえておくには、どうしたらいいか?人は考える。

 手で掬っても手に入るのは一瞬。第一、水を手に入れるのは大仕事。今でも井戸が少なく、水道が発達していない国では水汲みが最も重要な日常の大仕事。遠くにある河や湖まで歩いて行って水を汲む。井戸がない地域では、それしか水を手に入れる手段がない。

 太陽が映る水を神とした。掬った掌の中で、陽の光を受けて輝く水を神とすることで人は太陽を手に入れた。掬った水は、すぐに掌から消えてしまう。

 ようやく手に入れたあの人を逃したくない。こう考えた時に人類は何をしたのか?

 掌ではなく、溢れて消えてしまわないものに入れておけば水は捕まえておけることに人は気づいた。

 人は器を作り始める。神を映す為の器を。器で水を掬ってくる。器を大事に大事に運んでくる。水を入れた器を動かせば、器の中にずっと神様がいる。

 神を逃さない方法、自分の側にずっと神を捕まえておける方法を人は見出した。

 食べるものを載せる為の器を最初に作ったのではない。食器としての器は皮で事足りる。木々の葉も皮も使える。獣を採ってくれば捨てるところはない。調理技術でいえば、腸詰の方がオーブン焼きよりも古い。

 人が器を作ったのは神を人のもとへと留めておく為。神様を人のもとに繋ぎ止めておく為には、神を映す器が必要だった。

 器は平らであれば、平である程いい。神の姿を映す面積が広くなる。神様の姿が大きくなる。こうしてお皿が出来る。

 器が出来たことで、神が宿る器を拝ませるという方向に人は移っていく。面白いことに器に神を宿らせるという方法を学んだことで、人は同時に水の性質についても深く学んでいくようになっていく。

 集まっている時は青い、もしくは黒い。夜の海に行けば分かるが、昼間キラキラ青く輝く水も夜は黒くしか見えない。水は空を映す。空の色が青なら青く。空の色が黒なら黒く。

 けれど青い海から掬ったとしても手で掬った水は透明。人は不思議に思う。集まっている時は青いし、黒い。けれど掬ってきたら透明。

人は水がないと生きていけない。だから水は最も身近にあるもの。けれど生きる為、生活する為の水ではなく、ひとたび「神を宿すもの」となった水と接することで、人はそれまで知らなかった様々な水の性質を学ぶ。

 昼間、器にお水を掬ってあいつを映しておくと、器の中のお水は温かくなる。そしてあいつが空からいなくなって、外が寒くなっても器の中のお水は、ほんのりと温かい。

 火で沸かしたお水が熱くなる。これも不思議な話だけれど、太陽を映していただだけのお水も温かくなる。これはもっと不思議。

 何故?と考えて人は思う。

「もしかしたら、あいつからここに力が移っているんじゃないか?」

 古事記の中で一番最初に名前が出てくる神がある。

 天之御中主。「あめの」というのは接頭語の美辞だと言われている。「美しい」という意味だとされてるのが一般的だが、宗匠は

「言葉が、そんなにいい加減に出来上がってくる筈はない」

 と異を唱える。

「『あめ』はまさに『雨』なんだと思う」

 そう語られる。

「雨のみが、その真ん中に主を留めどくことが出来るものである」

 と宗匠は考えられる。

 雨のみ中主、天之御中主。ただの雨ではない。天の上から降ってくる雨。それを器の真ん中に移すと主のようになる。移っていく。TOPのようになっていく。

 こういう考え方から、太陽の次は、水こそも神ではないかと考えるようになってゆく。哲学がここで一つ進んでゆく。

 それまでは、朝東から昇るあいつだけが神だった。それを映して温度を蓄えている水も神様になってゆく。そして手に入れられなかった太陽とは違い、手に入れるのは容易ではないが私達が手に入れられる神様になってゆく。

 どういう風にして手に入れるか?掬う為の器さえ用意できれば神様を容易に手にすることが出来る。哲学から発展して、私達が一つ進化する。

 水を、神様を蓄えておくことが出来るものを開発しようとするのが進化。実は私たちの肉体はホモサピエンスの時代から大きな進化はしていない。

 頭脳と頭脳の命により新しいものを生み出そうとする手。この二つの部位を除いては。

 この進化の過程で、神と進化というものが、このように繋がっていく。

 どうやったら神を手元に捕まえておくことが出来る?神を捕まえておける器を作った人たちがいる。神を捕まえておく為に石を彫った人達もいる。神を捕まえておく為に木を彫った人達もいる。

 そして、あるものは土を焼いたらどうだろう?と考える。

 石も木も中に入れたものの温度をずうっとは保っていられない。ところが土を焼いたものは、木や石と比べて中に入れたものの温度を保っていられることを誰かが発見する。

 だったら、土を焼いたもので器を作ろうという流れになってゆく。始まりはただの偶然。食事の為に焼いていた獣肉。肉を焼く火を焚いていた跡に誰かが水をこぼした。

 水はすぐには消えなかった。火にあぶされ、固くなった土は容易く水を通さない。

「これは使えるんじゃないか?」

 誰かが考える。土を焼いたら、こんな風に固くなるのなら神様を留めておく為の器に使えるのでは?勿論、釉薬の無い時代、土器で神を捕まえておく為の器を作っても、すぐに水は器に染み通り消えてしまう。

 神様は器の中からいなくなる。けれど誰も困らない。むしろいなくなってくれた方がいい。神様は常若でいられるから。

 神様は朝に生まれて、夜に死ぬ。常に常若だから、器の中から無くなってくれる方がいい。その方が現実的。太陽は朝、東の空から生まれ、夕方になると西の空に沈んで死んでゆく。

 だから器の中の神様も、神様の力を宿した水も器の中からいなくなる。

 夜、太陽は見えない。だから神様は神様は朝生まれ夜死ぬ。神様は、毎朝新しくなってゆくという考え方がずっとあった。神様は常に若い。

 水は、人の手には入らない太陽とは違い、掬って器に入れておけば、ずうっと手元におくことが出来た。ところが水は流れているからこそ腐らない。澱んだ水はすぐ腐る。

 器に入れた水は時間が経つと腐っていく。ようやく手に入れた筈の神様。掬って、器に入れて、大事に保っておいた筈の神様は異臭を放ち腐ってゆく。

 これは神様ではない。人々は考える。澱んで腐ったものは神様ではない。だったら常に新しい水を手に入れ、器に入れていけば良い。その為には、器の中から水が無くなっていってくれる方が都合が良かった。

 進化とは都合。人々にとって都合の良い方に進化は流れる。人々の都合に従って土器が生まれる。

 神様を掬う為に、器が出来始める。これが土器の始まり。ゆえに、天之御中主というのは神を映す為の水。そして、これが古事記の一番最初に出てくる神様のお名前。

 古事記の最初に出てくる神は太陽の神ではない。一番最初に出てくる神は水の神。

 だから、お祭りの一番の原点は、水を救ってくるということに他ならない。どんな神社に行っても、どんなお祭りに行っても、お水があがっていないお祭りはない。そしてどんな神社でも、お水は器の中に座して祀られている。

 神様を祀る祭祀。この一番の基本は水を上げるということ。それは捧げられる水自身が神様であるから。

 だから、お祭りの一番の骨は、お水。そして、その器ということになる。

 地殻変動による大災害の後、日本は大陸から離れ島国となった。日本列島が今に近い形になった後、遠い旅路の果てにユーラシア大陸の東の端にたどり着いた人々は大陸から切り離され、大災害を起こす島に取り残された。

 取り残された人々は生きる為に分散していく。南下した人達もいる。北上した人達もいる。北上した後、凍りついた海を渡り、アメリカ大陸まで旅を続けたものもいる。

 そして南下も北上もせずに留まった人達もいる。この長い日本列島で共通する考え方が水。食べ物については地域性がある。肉も魚も産地によって獲れる種類が異なっている。

 食物に対する信仰は各地域だけで通じる信仰がある。ところが水に対する敬意や畏怖は全国どこでも共通していた。

 水は古語では「平」と呼んでいた。風が吹けば波が立つが、そうでない時の水面は平。水道の蛇口を捻る。激しく流れた水が落ちて溜まれば平になる。

 水が集まっているところで、平でないところはない。ゆえに水のことを「平」と呼んだ。平の一雫。すなわち水の一雫。

 太陽を捕まえるには、水に映せばいいことに気づき、太陽を映す水も神としたことで、人は水の不思議に気づき始める。

 太陽を捕まえる為に、太陽を映した水を掬いあげる。ところが掌に掬いあげた水は、掌の中からいなくなる。あらゆるもので掬いあげることが出来るが、少し注意を怠るとすぐに零れて流れる。流れたら、あらゆる方向へ行く。

 制御出来ていると思ったけれど、全く制御出来ていない。「治水は国の要」という言葉がある。制御できないものを、いかに制御するかで為政者達は、その能力を測られた。

 制御できないと知ったうえで、いかに被害を減らし、いかに恵みを与えるか。それが出来たものが名君と呼ばれた。

 水は制御できない。飲み水、生きる為の水としか見ていなかった時には気づいていなかった水の不思議に気づいていく。人の体の中にも平はある。排泄するたびに、自分の体から水が出る。

 そもそも生まれる前には、人は水に包まれていたことを、人は経験則で知っている。お産の時に流れる羊水。人が生まれる前には流れる水。自分達の体の中にも平はある。平って自分達が出しているものだと人は気づく。

 平は、人の体の中にもの、の筈だが、気がつくと上から降ってくる。川にも流れている。川とは違い塩味がついている、もの凄く大きな池にも平がある。

 気がつくと自分の周りは平だらけということを人は理解する。ここまで水のことが分かったのは東洋の中でも日本だけ。黒い人も、白い人も、青い人も気づくことはなかった。

 何故、それが分かるのか?それは日本の縄文時代が一万年もあるから。日本では農耕しなくても生きていられる時代があった。

 西洋では小麦を育てている時代に、切り離された大陸にある黄色い人の国である中国でも小麦を育てている時代に、日本では採集で暮らしていた。

 お米も小麦も作らずに一万年暮らしていけた。縄文時代の日本にも農耕は伝わっている。けれど農耕に頼らずとも人は暮らしていけた。採集の文化で暮らしていけた。

 日本に長く縄文の時代が続いたことを、稲作の広がるのに長く時間がかかったことを、日本人の保守性による遅れと見なす人がいる。それは日本のことを理解していないが故の大いなる誤解。

 日本は遅れているから、縄文の時代が長かったのではない。縄文の時代を長く続けられるほど、食物をすぐ側で得られたからだ。

 食物がすぐ側にあるということは、すなわち食物を求めて人同士が殺しあわなくてもすむということだ。

 縄文時代は、人を殺す為の遺物が一つも出てこない。勿論、鏃や石槍は出てくる。けれど、それは人を殺す為のものではなく、食物となる獣を得る為のもの。 

 少し家から離れれば山があって実があり、少し家から離れれば海があって魚がいる。ただ手で掬って飲んでも、お腹を壊さない清潔な水がそこかしこにある。

 人の棲家のすぐ周りに人間が生きてゆくのに大切なものが全部揃っていた。

 だから隣の家に行って、生きてゆく為に必要なものを掠め取っていく必要がない。

 宗教による戦争が始まる以前、戦争の原因は全て食糧の奪い合い。

 アフリカからの長い旅の間も人は食料をめぐっての殺し合いを続けながら旅を続けてきた。

 ところが東の果ての地に辿り着いた途端、人は殺める必要が無くなった。それは東の果ての地には手で掬って飲んでも、お腹を壊さない水があったから。それも日本列島どこでも。

 特に福島以北は、最終だけで充分暮らしていけるだけの豊かさがあった。福島以南の人達に食糧を分け与えることの出来るだけの豊かさがあった。

 東北地方には1万8千年まえの遺跡が残っている。1万8千年まえの遺跡から漆を塗った器や櫛が出ている。この遺跡が発見される前、海外で見つかった漆を使った遺物が7千年くらい前のものが一番古い。

 三内丸山遺跡から出てきた遺物は、どんなに新しく見積もっても1万8千年前のもの。1万8千年前から漆を扱っていた。漆を扱える程平和な生活をしていた。

 漆は塗料や接着剤にもなる。塗料や接着剤を1万8千年前、日本人は既に持っていた。

 

ラスコー遺跡の時代に、日本人は牛や馬を追いかけたりはせず、家族単位で目の前にあるお魚、後にある木の実、そして掬えば飲めるお水で暮らしていけるという恵まれた環境で生きていた。

 だから、この長い日本列島で水に関する考え方は共通している。北も南も、どの地域から発見された遺物でも水に関する考え方は同じ。

 どの地域の遺跡でも、渦巻きの意匠が出ている。当時、平と呼ばれた水に石を投げると波紋が広がる。

 渦巻きの意匠は渦を表しているのではなく、水の波紋を表している。渦巻きの意匠が記された遺物は、全国あちこちから出ている。それほど水が大切だった。

 生きてゆく為に水が必要だということまでは、まだ分からないまま水は無くてはならないものの一つとなった。

 水は、太陽の力を移すことが出来る。勿論、飲むことも出来る。人が生まれる時には、まず水が出てくる。目の前には、真っ青な大きな少し塩辛い水がある。川にも水が流れている。

 意識まではしなくても、自分達は水に囲まれていると古代人は考えた。むしろ、水の囲いの中に自分達は生きていると考えた。

 アメのミナカという考え方。アメは雨であり天。上からも施しを受けることが出来る。下からも施しを受けることが出来る。横からも施しを受けることが出来る。

 石清水は横から噴き出しているように見える。制御出来ないようでいて、竹を使って樋を作れば、自分の住まいの近くまで石清水を引いてくることも出来る。

 水がないと命に関わるとまでは理解はしていなかったかもしれない。

 けれど、とても大切な存在であることは分かっていた。形も変える、流れもする、止まりもする。この不変なものを一番最初に祀った。

 古事記の中で一番最初に出てくる神は水の神。私達は、天之御中主という水の神を得た。この神を祀ることが、原初の日本人の共通した信仰。

 神は人心の仮託。宗匠は繰り返し、そう語られた。神は人間の心が生み出したもの。人心の仮託であるから人の心の方向によって様々な神様が生まれる。

 けれど、日本人という日本列島に住む人達には共通の尊ぶべき神がいる。その共通する考え方が水。たとえ離れた地域に住んでいても。共通の尊敬できるもの。共通の恐怖を与えるものが水だった。

 遠く離れた地域の人達同士でも通じる考え方。共通する文化、信仰。

 夏の大雨。穏やかだった川が一気に水量を増し、川から水が溢れ出る。地震が起こった時には、大きい塩っぱい池の方から一気に水がやって来る。水は怖いものでもあった。

 普段は樋で引いたり、自分達の生活に役立つ癖に、たまに意地悪な恐ろしいこともする。自分の力では制御できない大事なものを拝もうとするのは現代人から見ても無理はない。

 日本列島の住人は、どこでも水害だの、地震だのを経験する。水は人の意のままにならない。

 古事記の中で天之御中主の記述は僅か。一番最初に名前だけ出てくる。まるで平に石を投げたら、一瞬水煙が立った後、すぐにサーっと波紋だけを残していなくなるように。

 たった一行だけの記述。たった一行で済むほど、それぐらい当たり前にいる神様。いるのが当たり前の神様だから、わざわざ考える必要がない。ただし、とても重要な神様。

 古事記の中で最初に出てくるのは太陽の神ではない。聖書のように「光あれ」とは言わない。太陽は、もはやいた。水が神である以上、水に映る太陽は当然いた。日本の文化ではそう考える。

 常に存在するものとして名前だけ言った。そして何故、名前だけ言ったかといえば、それ時々で形が違って特定できない。人心としてまとめられないから。

 神は人心の仮託。けれど天之御中主は人心として扱えない神様。水は人心として扱えない。平は、人心ではなく存在している。これを神様にした。そして、それを祀るために集めておきたかった。

 仏様にも、神様にも、北でも、南でも、日本人が何かを祀る時に共通して行うこと。尊い方に差し上げる為に、もしくは尊い方そのものを祀る為に水を掲げるということ。

それが、この水の国の信仰。

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