かつて、ひとまとめにして「隠れキリシタン」と呼ばれた方々がおられます。慶長の禁教令の後、邪教としてキリスト教を信仰することが禁じられた後も、取り締まりの輪を潜り、密やかに信仰を続けキリスト教を棄てなかった人々。
キリスト教史に名高い「信徒発見」
日仏修好通商条約に基づき、居留するフランス人の為に建てられたカトリック教会 大浦天主堂。珍しい西洋建築を見物する為にやって来るあまたの日本人達。
彼らの好奇心を満足させる為に、教会の外だけでなく中まで見学を許し、いつでも自由に訪れることが出来るよう教会を開放していたのは、大浦天主堂の司教 ベルナール・プティジャン神父に秘そやかな期待があったからでした。
弾圧により信仰を捨てたとされる日本人信徒達。けれど、もしかしたら棄教を選ばす、隠れて神を信じる兄弟達がいるかもしれない。見物に訪れる日本人達に教会を解放していれば、彼らに紛れて、我等と同じ神を奉じる兄弟達がやって来るかもしれない。
プティジャン神父のかすかな願いは、庭の手入れをしていた早春の午後叶えられることとなりました。教会の見学にやって来た日本人一行の一人が、祭壇の前で祈る神父に囁きました。
「ワレラノムネ、アナタノムネトオナジ」
「サンタ・マリアの御像はどこ?」
約250年もの間、弾圧を耐え忍び、信仰を捨てなかった人々がいたことは神父のみならず、キリスト教世界に大きな驚きと感動を呼びました。
かれど、仏を廃仏し、西洋諸国と対抗する為に、国家を神道によって纏めあげようとしていた明治政府にとって、国家が認める神以外を信じる人々の存在など許す筈などございません。
江戸幕府同様、いえ長い間の禁教令に慣れ、信仰を露わにするという目に余る行為をしなければ知らぬふりして、お目こぼしすることもあった幕府の役人達よりも峻烈に、キリスト教徒であることを隠さなくなった人々を明治政府は弾圧しました。
自分達と同じ神を奉じる日本人信徒達が「信仰を捨てない」ことを理由に捕縛され、流罪され、拷問を受ける様を見た欧米人達の冷ややかな眼差し。
「信仰の自由を国民に許さない野蛮な国」
という軽蔑が、国家としての力の差から結ばざるを得なかった不平等条約の改訂。国家としての悲願であった欧米諸国と対等な条約を結ぶことを阻む障害になることに気づいた明治政府は禁教令を解き、罪人として囚われていた人々は誰の目も気にすることなく、己の信じる神を奉じる教会へ通うことが出来るようになりました。
キリスト教世界の人々は、長い苦難に耐え忍んでいた兄弟達が神の恩寵を得て、その御許に帰ってきたことを喜びましたが、この時戻って来ない人達もおりました。
「天主様の御許に帰る為には、神様と仏様を捨てないといけないということ?」
禁教令には、地域によって温度差があり、弾圧が厳しい地域の人々は禁教令が解かれた後、喜んで欧米からやって来た神父達の許に戻りましたが、弾圧が緩かった地域の人間は、そうではありませんでした。
小さな島では秘密を守ることは難しい。住人達は、その家の者が禁じられた神も信じていることを知っておりました。
けれど何の悪感情のない隣人を「恐れながら」と幕府の役人に密告するのは気が引ける。
幕府からやって来た役人としても、きちんと税を収め、周囲の人間達との関係も良好で、人柄も悪くない人間を「キリシタンだから」と捕まえるのは気が進まない。
大っぴらにキリシタンであることを隠さないとなれば捕まえなければいけませんが、隠れてこっそり信仰している分には知らぬふりをしておりました。
そういう地域の人達は、禁教令が解かれた後戸惑いました。
「天主様を信じることを許されたことは嬉しい。でも、そうしたら天主様しか信じてはいけないんだよね?」
長い間、キリシタンであることを隠していた人々は、神社の氏子となって祭りに参加し、檀家となっているお寺にお葬式をあげてもらい、こっそりと隠している祭壇で天主と聖母に祈った。
生活の中に、それぞれの神が息づいていた。天主様に対する信仰と教会への崇拝は変わらなかった。けれど彼らは戻らなかった。神と仏を捨てることを良しとしなかった。
この戻らなかった人々をローマ教皇庁がたいそう気にしているという話がございます。戻らなかったことを怒っているのではなく、戻らなくても自分達と同じ兄弟であることは認めつつ何故戻らなかったのか?を気にしている。
絶対の存在である筈の天主の為に神と仏を捨てられなかったことを。神と仏と天主を共存させて大事に崇めている彼らの在り方を気にしている。
ここで一つ面白いお話をいたしましょう。戻らなかった人々が棲まう島に
「カトリックの人達がそこで祈っても何も起こらないけれど、島で信仰を続ける人々がそこで祈ると水が出る」という場所がございます。
禁教令の間に変容していようが、祈りの言葉は同じ筈。けれど島にやって来た人々がそこで祈っても何も起こらない。
禁教令の間も信仰を続けた人達の末裔、島に棲む今も信仰を続けている人達が、その場所で祈ると水が出る。
このことに驚くのは島の外からやって来た人。島の人達にとっては、何の不思議もございません。
「あの場所で天主様を信じている人達が神に祈った。だから水が出た」
それは日常の生活、日々の暮らしの中にある当たり前のこと。
このことを不思議に思い理由を知りたいと思うのは島外からやって来た人々。
「何故、自分達が祈っても水は出ないのに、この人達が祈ると水は出るのか」
ローマ教皇庁は気にしている。自分達の許には帰ってこらず、けれど自分達への尊敬を忘れない人々を。自分達と同じ神を尊崇し続ける人々を。
神の奇跡を管理するローマ教皇庁は気にしている。神への信仰が薄れる時代、経済という新しい神に頭を垂れる人々が増える時代に、神への信仰を保ち続ける人々。
生活の中に神も仏も宿り続ける日々を送る人々のことを気にしている。
古事記には色々な読み方がある。そう宗匠は語られる。古事記というのは、その家その家によって、その人その人によって、その仕事その仕事によって読み方が変わる。
暗喩は読み方が分からなければ伝わらない。誰にでも喜ばれる物語の中に、一族の者だけに伝えたい大事なものを潜ませる。
宗匠は、古事記本文については語られない。それは誰もが触れることが出来るもの。日本神話の豊かさを味あわせるもの。ゲームという古事記をインスパイアした創作物の形で異国の人々をも楽しませるもの。
宗匠が語られるのは古事記に出てくる神。神についての読み方。その神をどのように考えるか、二条家に伝わる読み解き方で語られる。
それぞれ違う役割を担う者達が、己の務めを果たす為に必要な読み方を一門の間だけに伝える。どのような読み方をしているのかは他の一族には分からない。
それぞれの役割に沿ったそれぞれの読み方。全ての読み方が分かるのは異なる役割を持つ者達を統べる立場にある者だけ。
「今期のクールで我が家に伝わる読み方は終わる」
そう宗匠は語られる。今期で文化、和歌、歴史を司る家に伝わる読み方は終わる。前期まで宗匠は、「人心としての神」ついて語った。人の心が、どのように神をつくってきたのか、その様を語られた。
「人の心としての神」について私達は学んだ。次の学びを得る為の用意が出来た。
今期、宗匠が語られるのは神観念。神をどう観念として捉えるか。
人は神を求める。だが神は人には何もしてくれない。
人は良き事が起こることを求めて神社に参る。鈴を鳴らし、賽銭を投げ、二礼二拍手一拝の作法で拝んでも、その目の前の神社には神様はおわされない。
神様は、お社の中にはおいでにならない。神様は天におわされる。もしくは人と同じ目線で人の隣におわされる。
従って神社に行っても神様には会えない。すなわち神社に行ってお願いごとをしても叶わない。
神様がいると思っている場所に行って、神様に願うことで、希望と期待と心の満足は得られるだろうが、でもそれだけ。
神道と仏教の違いは、ここにある。仏教では徳を積むという考え方がある。御仏に近づく為に徳を積む。
徳を積むことで御仏に近づけるのは生者だけではない。生者が死者の供養の為に徳を積む。生者が死者の為に徳を積むことが死者の応援になる、という考え方がある。
もう二度と会えない大事な人の為に経を読み、徳を積む。自分がこうして徳を積むことが彼岸にいる人達の応援になるという考えは心を救わせる。
神社には徳を積むという考えはない。考えがないのだから、そこで何かしても人が勝手にしてること。
神社に祭壇を寄贈する。神社に鳥居を奉納する。神様の為に自分はそれが出来た。心は満足する。そして、それでお終い。
どれだけ寄進しようが、神社に金を積もうが、寄進したものに特別にご利益を与えることなど日本の神にはあり得ない。
「うちらの神さんが、あんな状態ではみっともないだろう。なんとかしないと」
綺麗になった神社を見て満足するのは人。満足して、そしてお終い。
「神は観念の問題」宗匠は、そう語られる。「人心としての神」までは、知識として伝えられる。言葉で語られたことを繰り返し、繰り返し考え続ければ理解できる。
けれど、「神」についての考えは、どんなに語り手が力を籠めて語っても聴き手に「神についての観念」が整っていないと理解できない。
今期初めての会、宗匠は神としてのお水について語られた。そして言われた。
「次の会まで毎日お水をあげてください」
毎朝、神様にお水をあげる。それが習慣として根づくと、朝起きたら神様にお水をあげないと居心地が悪くなる。
この習慣が、どんどん観念をあげていく。朝、起きたら水をあげたくなる。水をあげたら話しかけたくなる。
習慣として毎日続けていくことで、人が最初に得た神様が水であることが観念で分かるようになっていく。
毎朝あげるお水が特別なものになっていく。水は水。ただの水を神様にあげることで特別な水にしていくのは私達。
観念が、ただの水を特別な水にしていく。「あめ の み なか ぬし」天之御中主、ただの水が大きな東洋のシンボリックな神様と繋がっていく。
天之御中主を神観念で感得した後、私達は観念について学んでいく。神様について観念的な捉え方をするとは、どういうことかを学んでゆく。
そして、神様の観念は、神様を感得することに繋がっていく。
「神社には、神様はいない」と、宗匠は、おっしゃられた。おっしゃられた後、次のことをするように私達に告げた。
目を瞑り、両手を合わせる。目を瞑ってまま、あわせていた手を離す。合わせた手を離しても、右手は左手を、左手は右手を感じられる。
話した右手と左手の中に、何かがあることを。右手と左手の間にある僅かな温度を、微かだけど確かにあるエネルギーを私達は感じられる。
右手と左手の間に自分の空間があることを認識できる。自分の空間があることを認識できることを「感得」という。
手と手の間の距離。自分を包み込む自分の空間。ここから先は自分の領域だと無意識に判断している空間。
その領域から先に入ってくるものがあれば、自分に危害を加える危険な敵として殺すか。特別な相手として性愛を交わすかのどちらかしかない。
自分のテリトリーだと自覚なしに感得している空間。これは観念から得られた感得。
何故なら、理由がない。「ここから先は自分の空間だ」どうして、そう判断できるのか?の理由がない。理由がない。けれど、分かる。
何故なら、私達は生きているから。生きている人間の身体は全て電気を発している。出なければ人は動くことが出来ないから。
人の身体はデジタルとアナログで出来ている。脳が神経に電気で命令を伝え、電気信号で命令を受けた神経は、骨・筋肉というアナログを動かし、肉体を脳の命令に従わせる。
電気信号で命令しなければ、咄嗟の危険に肉体は対処できない。人の身体は生きている限り磁石。プラスとマイナスという電気。電気という名前のエネルギーを発している。
人は電気を発しているから、目を瞑っていても、手を合わせた後、離した両手の間にある暖かさを、エネルギーを感じることが出来る。
人はエネルギーを発しているから、自分の領域が分かる。真っ暗闇の暗闇の中でも、自分の領域に入り込んできたものが分かる。
真っ暗闇の暗闇の中でも、何かに触れなくても、人の領域に入り込んだ時、自分ではない誰かの存在を感得することが出来る。
神を感得することは、最初は難しい。何故ならば、神様がどんなものか分かっていないから。けれど、段々と感得の仕方が分かってくる。
そこに神様がいる、と感じるから神社を建てる。それが神だと思うから、神の為の名前が必要となる。名前をつけた時から、神は神となる。
ただの水が神性を帯びる。ただの水が特別な水となり、神となる。
水は、何故神となった?それは、人が水がとても大切なものだと理解したから。それを人が理解出来るようになった時、水は神となった。
人が生きてゆく為に、もう一つ無くてはならないものがある。それは塩。ミネラルが無ければ人は生きていくことは出来ない。
全ての動物は、本能でそれを知っている。グルーピングすることで塩を得る。仲間を舐めることで塩を得る。汗を舐めることで塩を得る。
人が塩を得たのは偶然だった。真水と違い、塩水は飲んでも美味しくない。だから土器に汲んだ後、放っておいた。
放っておいた土器から水は蒸発し、そこに白いものが残った。残された白いものを舐めると元気が出ることが出ることに人は気づいた。
残された白いものを、肉や野菜にかけると美味しくなることに人は気づいた。塩を得たことで人は文化的な生活を得た。
一番最初に水を称えた。その次に塩を称えた。土器の中に海水を入れ、火で焚くことで塩を得られるということを人は経験則で学んだ。
タカムスヒの神は経験則を取り入れる観念。
カミムスヒの神は、経験則を実践するという観念。
宝石に比類するほど白く光るキラキラしたもの。しかも安全でかけると食事を美味しくし、身体を元気にしてくれる。それを神とすることは人にとっては自然だった。
どうやったら、海水から塩を得られるか?土器を火にかけ、何度も失敗をし、経験を蓄積することで塩という大切なものを得られることを人は学んだ。
神様に捧げるほど、高価で大切なもの。神様として名前をつけるほど、大切なもの。神として名前をつけ、神性を与える為には観念を持たないと出来ない。
大事なものを、己の側に捉えておきたい。その願望が人に観念という哲学をもたらした。
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