【第5回】 ウマシアシカビヒコジⅡ

今年も終わりが近づいてまいりまして、夏の酷暑が嘘のように日毎に寒さが増してまいります。この時期の天気予報を見ると日本という国の多様性がわかります。

同じ日の予報で北海道と沖縄では20℃以上温度が違う。一つの国土の中に亜寒帯から亜熱帯まで有するこの国は、地方ごと、四季ごとに様々な美しさを見せてくれます。

この美しさを記録した映画の一つに「地球交響曲」という映画がございます。

「すべての生命は音から生まれ、音に還ってゆく」

「この宇宙は普く満ちている音は森羅万象の創造に深く関わっている」

「あらゆる楽器が、それぞれ独自の音を奏でながらシンフォニーを奏でるように、生命体である地球のシステムもまた、ともに美しく壮大な調和の音楽を創造する」

 という龍村監督の思想のもと「交響曲」と名付けられた大変美しいドキュメンタリーでございます。この交響曲、現在第一番から第九番まで出ておりまして、「地球交響曲」というタイトルが示す通り、特に日本に限って記録している訳ではございません。

 ですが、今回は、この中から日本の美しさがよく分かる一曲について話ましょう。地球交響曲第二番。

「21世紀は私達普通の市民一人一人が宇宙的な視野から、自分自身を見直す時代」という第一番のテーマを更に深める為に龍村監督が選んだのは4人の出演者。

素もぐり105メートル記録保持者のジャック・マイヨール。

チベット仏教最高指導者、14世ダライ・ラマ法王。

地球外知的生命探査計画の父として知られる天文学者フランク・ドレイク。

 世界的にも名高い錚々たるメンバーを差し置いて、監督の元に最も多い感想を寄せられたのは、唯一の女性である4人目の出演者でした。

「あのおばあちゃんの握ったおむすびが食べたい」

 4人目の出演者の佐藤初女。弘前市郊外の岩木山の麓で、心疲れた人、重い病を抱えた人が宿泊できる施設、森のイスキアを主宰されていた方でした。

 映画の中で初女さんは特別なことはなさいません。映像は、ごくごく普通の彼女の日常を映します。ごくごく普通の、そして映画を観た人が、その「普通」に憧れたことから分かるように、今では、それを行うことが、かなりの意志と経済てはない豊かさを必要とする「普通」です。

 特に時間貧乏な人が溢れる都会では、この豊かさを実践することは、かなりの努力を求められるでしょう。かつて行われた初女さんの講演会で、こう質問した人がおりました。

「私は社会人1年目で一人暮らしです。初女さんの本を読んで、私もこういう暮らしをしてみたいと思いました。でも出来ないのです。やらなければいけないことに追われてしまって疲れ切って出来ない。やりたいと思っていても出来ない。

 そうすると私はダメだなあ、と思って落ち込んでしまうんです。初女さん、私は一体どうしたら良いでしょうか?」

 その問いに初女さんは、こう答えました。

「一日に一つだけ出来ることを見つけてください。多くなくていいんです。一つだけでいいんです。お米を研いで、炊飯器のスイッチを入れる。それだけでいいんです。そしてお米が炊けたら、お米を炊くことが出来た自分を認めてあげてください」

「『それしか出来なかった』ではなく『それが出来た』自分を認めてあげてください。ご飯を炊くことが出来た自分を認め続けていたら、そのうちにお味噌汁を作ることが出来るかもしれない。おかずを作ろうとするかもしれない。そうやって少しずつ『出来た自分』を増やしてください」

 出来ないことを嘆くのではなく、出来たことを認めることで自分の中の命を認める。映画の中に映し出される弘前の四季の中で、初女さんはそれぞれの季節に現れる命を認めておりました。

 雪まだ残る弘前の春。雪の中から芽を出し始めた蕗のとう。春の息吹をそっと摘んでは天ぷらにする。

 青梅の季節。梅のへたを一つ、一つ取り除き、下漬けし、紫蘇漬けし、天日で干す。

 出来上がった梅干は大事に保存され、おむすびの具として大事に大事にご飯の中に包まれる。映画の中で初女さんは言います。

「お料理というものは、食べ物の命が一番生きる時を見極めて調理すると一番美味しいのです」

 映画を観た人が

「ああ、あのおむすびを食べたい」

 と思うのが当然だと思うほど、お米の命も、梅の命も一番活きる時に閉じ込められた状態で、おむすびは初女さんの手の中から生まれていきます。

 このおむすび、映画の撮影中、スタッフがいつでも食事が取れるように皿に盛られていたそうですが、気がつくといつの間にか空になっっていたそうで。

 厳しくも美しい弘前の四季を撮る為に、このおむすびがどれだけの力を与えたのか、ということを考えると、美味しい食事のもたらす力というものを考えないわけにはまいりません。

 このおむすびについて、もう一つ有名なエピソードがございます。ある時、森のイスキアに一人の男性がやって来ました。やって来ましたが、その男性は何も話しませんでした。

 初女さんは、男性に宿泊していくようにと言いましたが、彼は首を横に振りました。「帰る」という男性に初女さんは少し待つように言い、おむすびを渡しました。

 その男性は死ぬつもりでした。死ぬ前に、一度行ってみたかった森のイスキアに行きたいと思い、初女さんのもとにやって来たのでした。

 イスキアを出た後、これでやってみたかったことをやったのだ。後は死のう、と男性は思いました。

 ところが、初女さんが持たせてくれたおむすびがあったことに男性は気づきました。せっかく持たせてくれたのだから、死ぬ前にこれを食べないと申し訳ないな。そう男性は思いました。

 おむすびが冷えないようと、初女さんはタオルでおむすびを包んでいたので、まだほんのりと温かさを保っておりました。

「美味しい」

 おむすびを一口食べて男性は思いました。

「おむすび、美味しい」

 そうしたら男性は急に悲しくなって来ました。おむすびは、こんなに美味しいのに、何故自分は死ななければいけないのだろう。

 自分に辛く悲しい思いをさせた人達は、自分のことなどきっと忘れてしまったのに、どうして自分は死ななければいけないのだろう。

 そう思ったら、悔しくて悲しくて、男性は泣きながらおむすびを食べました。食べ終わった後、男性はイスキアにとって返しました。

そして初女さんに向かって、自分に起きたことを全部ぶちまけました。

 どんなに辛かったのか。どんなに悔しかったのか。初女さんに言いたかったことを全て聞いてもらった後、男性の心から死にたいという気持ちが消えておりました。

 初女さんは生前言いました。

「来てくれた人に対して、その人が話してくれるまで聞こうとはしません。その人が『受け入られた』と思わないと、人は思っていることを話すことが出来ないのです」

「人は自分の苦しみや悲しみでいっぱいになっていると話すことはできません。私は、その人が話してくれるようになるまで待ちます。」 

 初めてイスキアを訪れた時、男性の心は自分の苦しみや悲しみで一杯で他のものが入る余地がありませんでした。苦しみや悲しみで一杯になった心に初女さんのおむすびが小さな穴をあけました。

「おむすび美味しい」

 真っ暗な心にポッと空いた穴は死を希求した心に、「生きたい」という小さな声を再び甦らせました。

 所作には手順が大事だと、宗匠はおっしゃいます。茶会を開いて、お茶をたてる。手順を間違えると茶はたたない、と。茶を茶碗の中に入れる。茶筌をふるってお湯を入れる。

 茶を棗や茶入れから入れて、お湯をたして、茶筌をふるう。その三段階がないと茶はたたない。この間のどの所作が無くても、上手くいかない。むしろ全部あるかたこそ、きっちりお茶がたつ。

 手順が大事なのは茶事には限らない。バイクを組み立てる。定められた順番通りに螺子を締めないと次の螺子が締まらない。歯にインプラントを入れる。順番通りに締めていかないと綺麗に口内に収まらない。

 阿闍梨の護摩焚き、神道のお祀り、手順通りに進めることに意味があるもの。禅僧は修行の一環として料理を作る。塩を入れるタイミング、火を落とすタイミング、それを間違えれば食べ物になっていかない。

 素材の命をどうやったら美味しい料理に移し替えることが出来るのか。その手順の一番の根幹となっているのは水をどう扱うか。

 お茶も、機械も、料理も、神事も、その他諸々の全てのことに関わる「水をどう扱うか」についてを先人は神に水を捧げる時の三手の所作で示した。

 神に水を捧げる。新しい水を捧げる為に古い水をおろす。おろした水はいったいどうする?それは個々人によって異なる。草木に与える。お茶にして飲む。そのまま流す。

 お水を捧げる瞬間と、お水を捧げられた状態がずっと続く瞬間といったいどちらが大切だろうか?神に水を捧げて拝む時が重要なのか?神の前に捧げた水を置いておくことが重要なのか?

 人は自分の都合に合わせて、その答えを見つけ出す。朝、神様に水を捧げた。これから出張で一週間留守をする。家を出る前に神棚に捧げた水を手に受けるようにして流す。神様は私の手に宿った。だから神棚に水がなくても大丈夫。これが方便。

 旅行先でコップの中に水を注ぎ、朝自宅で行う時と同じようにコップの前で手を合わせる。「宗匠は『大事なのは器でなくて水だとおっしゃった」人の言葉を理由にして旅先で出来ることをする。これも方便。

 めざしの頭も信心から。どこに神との関わりの起点を持つか。それは、それぞれの人の持つ哲学に関わってくる。人は一番最初に「水」という神を得た。その後に人はこういう方便を生み出す力。神に対する哲学を先に進めていく力。多様性があって方便が効く力を得た。

 その力はどこから得たのか。その力の元は何なのか。人は水を得て、それから塩を得た。この二つを得たことによって、人間は完全に動物と切り離れていった。

 水が大切だということは生物が本能的に知っていること。これに人は哲学をつけた。そして人は塩を作り出す。全ての生き物にとって塩は大切。同族をグルーミングすることによって、その汗から塩を得る。

 屠った獲物を喰らうことによって、その血から塩を得る。けれど岩塩として岩になった状態ではなく白くなった結晶として塩を作り出せた生き物は人類ただ一つ。

 日本の場合、他国よりも塩を得ることは容易かった。味のついた水を湛えた大きな湖。海から汲んできた水を土器の中に入れて神様に捧げた。新しい水を捧げる為に下げた土器の中には白い何かが残っていた。

 この白い何かを舐めると元気が出ることに人は気がついた。夏の暑い日、あまりの暑さに立ちくらみを起こす。乾きを潤す為に水を飲んだ後、土器の中に残っていた何かを舐めると元気が出ることに人は気がついた。

 海から獲れた魚。ただ焼いて食べるよりも白い何かを振って焼いた方が美味しいことに人は気がついた。

 獲物を撮る時に傷を作った。小さな傷は舐めればいいが大きな傷はそうもいかない。何もしないでいる傷はやがて膿む。ところが土器の中に残った何かを傷に塗ると、もの凄く痛いが翌日には少し痛みが軽くなり、上手くいけば傷口が膿まないことに人は気づいた。

 人はこうして塩を、薬と調味料を得た。

 お水を大切にする。お塩を得る。採取する。ここまでは北の話。それまでの日本で豊かなのは北の方だった。栗も胡桃も北の地には、人に豊かな恵みを与えてくれる樹々があった。

 ところが、ある時南側からそれを口にすると持続的に力が出てくる。飲むと元気になるものがあるという話が流れてきた。情報を共有するというのは人間の持つすごい力。

 地球生命の歴史は絶滅の歴史。人類史において、人類と呼ばれるのはホモ・サピエンスだけではない。ホモ・サピエンスと長い間共存していたもう一つの人類、ホモ・ネアンデルタール。

 体格も脳もホモ・サピエンスとホモ・ネアンデルタールの間に大きな違いはなかった。では、何故ホモ・ネアンデルタールは滅び、ホモ・サピエンスは生き残ったのか。

 その違いは情報を共有する能力の違いだと考えられている。ホモ・サピエンスは情報を共有することによって、集団を作ることが出来るようになった。

 南側のホモ・サピエンスからの情報が北側に住むホモ・サピエンスの許に流れてくる。

「よく分からないけど、これを口にすると、いつもより長く走ることが出来る」

「これを口にすると、よく考えることが出来て良い知恵が浮かぶ」

 そういう噂が、日本列島の南から北へと北上する。たった一万年くらいの間に一気に広がる。情報は口から口への伝聞でしか伝わらない時代としては驚くべきスピードであっという間に広がった。津々浦々に広がった。

「そんな素晴らしいものがあるのなら、自分達のところでも育てよう」

 これが日本人が手に入れた「穀物」という考え方。科学的に言えば、「炭水化物」という考え。この炭水化物というものが人間を人間たらしめているとても大切な養分の一つ。

 何故、炭水化物は人間だけが扱える養分なのか?それは、炭水化物は火を使わないと得られないものであるからだ。穀物は化成しないと炭水化物にはならない。

 それも芋をはじめとする根菜類ならば、ただ火の中にいれれば糖化し炭水化物を得られるが、穀物はただ火にいれただけでは炭になる。何かの器に入れ、水を加えて、火で熱する必要がある。

 生の穀物をそのまま食べても消化出来ずに毒となる。湯を炊いて、その器の中に穀物を加えて煮る。沢山の葉を敷いてその葉で穀物を包む。葉の下から火をつけて、包まれた穀物を蒸しあげる。

 水と火を加えた穀物は、柔らかく、温かく、それを食べると元気が出る。炭水化物悪玉論が流行ったのは炭水化物と脂質がセットになっていることが多い現代の食生活のせい。

 歴史上、そんな食事を常食出来たのは王侯貴族でさえも稀。過去を生きる人々が祭りの時だけに食べるような食事を私達は常食している。穀物が、熱を加え糖化され炭水化物となった食べものが、どれほど人に力を与えたのかは現代人には分からない。

 いや動物学者は、炭水化物が、糖化した穀物がどれほど動物に力を与えるのか理解している。大抵の動物にとって砂糖は麻薬。この甘みを手に入れる為ならば言うことを聞く。

 レースが終わった競走馬に、ご褒美として角砂糖を与える。ほんの小さな一粒でも、砂糖の塊は疲れきった馬に活力を与える。

 それまで知らなかったものを知った時、人は驚いた。なんだろう、この温かくて、柔らかくて、ほんのりと甘いものは。これを食べると身体中に力がみなぎる。目が冴える。頭の中もくるくる動いて、色々なことが考えられる。

 炭水化物から得られた糖は、人の脳にそれまでになかった力を与える。ここで人は、新たな哲学を得た。この粒の食べ物、それに水と火を加えた白い食べ物が、力を出してくれる神様だと考えた。それもお水が変成させてくれる神様。

 これが穀物を得てから数百年の間の経験値で勝ち得ていく考え。穀物をそのまま食べても食べられないことはない。だが水と火を加えてから食べた方が美味しいし、何より凄いスピードで力になるということが経験則で分かっていく。

 より良く道具を使おうと試行錯誤するのはホモ・サピエンスの性。どうしたらもっと美味しく食べられるだろう?と工夫を凝らすのは日本人の性。

 穀物を得た人々は、炭水化物をより良く身体に入れていく方法をどんどん実験して覚えていく。そうして日本人は炭水化物を水に浸して、それに火を加えることによって、すぐさま力が出る美味しいものに変わるという智慧を得た。

 そして穀物を握った時に出る「ジャリ、ジャリ」という音。これを日本人は心地よい音、魔を避ける音だと考えた。自分の中に魔を入れることによって、魔をを避けることに繋がっていくのだと思った。

 ドンと積まれた俵の中に入っている穀物。食べられる、ということが当たり前ではなかった時代。食べ物に不自由しないということが憧れであった時代。ジャリ、ジャリという音は豊かさの象徴だった。

 ホモ・サピエンスは自然に出る音ではなく、自分達が作ってたてる音に共鳴する。太鼓、シストラム、それらを叩いて遠くまで音を響かせた。遠くにいる仲間に伝わるように音を響かせた。

 ホモ・サピエンスの習いに従って、日本人も自分から出す音が好き。自分から出して高音で相手に伝わる音が好き。特にこの穀物のジャリジャリという音が好き。

 だから穀物を洗う時にすら音を立てるようになる。穀物に水を加えるのであれば、流水に浸しておけばいい。けれど、それだけでは飽きたらず音を立てて米を洗う。穀物を研ぐ音が、その家の富貴にも繋がっていくと考えた。

 この富貴の元となる力、米は、穀物は最終的には経済的な力にもなってゆく。貨幣経済の現れる前、いや貨幣経済になった後もお米は貨幣と同等に扱われる。

 なので音を立てて米を洗う音が、音を立てて洗えるほど豊かに米があるのだと分かる音が富貴に繋がると考えるのは、ごく自然なこと。そして、この音の元となる米を富貴を呼ぶ神と考えるのも、また自然なこと。

  この神は私達が得てきた神様の一つ。その神の名は、宇摩志阿斯訶備比古遅神 (ウマシアシカビヒコジノカミ)

 古事記には、色々な神々が現れるが、特殊な音の神は特別な存在だと心に留めておいた方がいい。話し言葉には使えないような名を持つ神は、気をつけて見ておいた方がいい神様。チは力のチ。血液のチ。強い力を持つもの。強い力を与えてくれるものに捧げる名前。

 では、何故日本の穀物の神に米を捧げるのか?お稲荷さんは恐ろしい神だという話がある。願掛けに行ったら、必ずお礼詣りをしないと祟ると。

 お稲荷さんが、そう恐れられるのは、お稲荷さんは荼枳尼天と同一視されたからだ。

 仏教の神である荼枳尼天はヒンドゥー教の女神が仏教に取り入れられたと言われる。

 ヒンドゥー教の破壊の女神であるカーリー女神が荼枳尼天の元の姿であるという。

 そんな恐ろしい神ではない、という話もある。農村地域に多く見られることからも分かるよう、お稲荷さんはその名の如く、稲を象徴する穀霊神・農耕神。

  五穀をつかさどる御食津神、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)であるという。

 ひえ、粟、麦、豆、米、五穀。お稲荷さんの性質の違いは、お稲荷さんがつかさどるそれぞれの穀物が日本に入って来た時期の違いを表わす。

 穀物の栽培が弥生期に始まったと考えるのは、大いなる勘違い。

 すでに縄文期に、自生していた栗の実を選抜育種し優秀な栗の木だけを残す半栽培が行われていたことが分かっている。

 穀物の栽培も行われていたことが分かっている。

ひえ、粟、麦、豆、米、五穀。新しい穀物が日本に渡ってくるたびに穀物神は入れ替わる。新しい美味しいものが神になる。

うかみたまの性質が変わっていく・

「なんて美味しい!なんて良いものだろう!これをうちのところでも作ろう!」

 そう思う人々が出るたび、そう人々を魅了する穀物が入ってくる度に炭水化物の神は更新される。

 では何故、日本で最も尊ばれる穀物は、米なのだろう?

 米は、特別な存在だったのだろう?徴兵制が始まった明治期、兵として招集される若者達の心をときめかせた噂がある。

「軍隊では、毎日米が食えるらしいぞ」

 当時、白いご飯はご馳走。貧しい小作農の家に生まれたものは、自分達が作っているにも関わらず、祭りの時でもない限り米など食べたことはなかった。

 人類史のうえで最初に起きたとされる世界四つの文明。

 黄河文明、シュメール文明・インダス文明・エジプト文明。

 日本は、このうちの一つ中国文明の亜流、黄河文明から派生したものだと思われていた。

 ところが、近年この考えに変化が起こった。日本文化は、中国文明の亜種ではなく、日本文明という新たな文明の一つではないか?

 そう考えられようになったのは、日本文化には、日本文明には他の文明にない特色があったからだ。

 他の文明は、粉食文化。つまり、小麦で文明を起こしている。

 無論、中国でも米は食べる。中国南方は、米食文化の地。

 けれど古来、中国で政治の中心地は北方。米も食べる。だが日常の食事は小麦。

 日本は、これが逆転している。小麦も食べる。だが、食事を取ることを「ご飯を食べる」というように、通常食事といえば米を指す。

 黄河文明、シュメール文明・インダス文明・エジプト文明、どれも小麦食い文化。空爆下のアフガニスタンで行われた食糧支援。

 配布されたのは小麦粉と油。この二つがあればパンが作られる。形こそ、違えどの文明もそれぞれの地域のパンがある。

 小麦が文明を作っている。けれど日本は、小麦で文化を立ち上げたことは一度もない。無論、うどんもある。蕎麦もある。

 稲作に適さない地では、うどんも蕎麦もよく作られた。けれど、うどん文化は粉食いの大陸から渡ってきたもの。

 黄河文明の一翼を担っていた筈なのに、日本は黄河文明と似ているところが全くない。せいぜいが青銅器を使って、剣や鉾を作った点が似ている程度。

 稲作のやり方一つでも大陸と似ているところが全くない。

 二千年以上の歴史がある国。二千年以上前の遺跡がある国で、小麦ではなく米で文化が発達したのは日本だけ。

 これが日本が黄河文明の亜種ではなく、まったく別の文明。日本文明を持つ国だと見なされる理由。

宇摩志阿斯訶備比古遅神 (ウマシアシカビヒコジノカミ)、何度も何度も更新されてきた穀物神。更新されるたびに、違う性格が加わってきた穀物神。

 その最後に入ってきた神、最後に入ってきた米が日本という国を形づくった。この神が日本を黄河文明の亜種でなくしたと言われる理由はもう一つある。

 世界中の中で麹菌という菌があるのは東洋だけ。西洋にはない。アフリカにもない。麹菌はアジアにしか存在しない。

 しかも日本の麹菌は、大陸、台湾、東南アジアの麹菌とは種類が異なる。大陸陸、台湾、東南アジアに棲息する麹菌は「クモノスカビ」

日本の麹菌は「コウジカビ」、日本の麹菌は小麦には菌糸を張らず、米だけに張る。コメのみに棲息する。

なので麹菌は、日本の「国菌」として守られている。なので、同じ酢でも醤油でも、中国、台湾、マレーシアの酢や醤油と、日本の醤油は香りが異なる。

 かつて、海外に留学した日本人が地味に嫌がることがあった。欧州人は食器を洗わず、布で拭く。

 日本人は食器は洗うのが当たり前。だから嫌がった。では何故日本人は食器を洗うようになったのか?

 人間は、動物と別れた時から、水という神を持った。神様は敬うものという哲学を持った。

 敬う存在に敬意を払う為に、神の前に立つ時には身なりを整える、という考えを持った。この身なりを整えるという考えの中に手水という考え方がある。

 神様に敬意を表す行為として、手を洗うという行為をするようになった。

 日本では、土器は神様に使っていた。人は木の器を食器として使っていた。木の器を長く使う為に、漆を塗った。漆は湿潤でないと固まらない。日本でないと固まらない。

 漆を塗った木の器を長持ちさせる為に、食器として使い終わったら洗う。

 神様に会う為に手を洗う。食べものをいただく為に食器を洗う。日本では、食べものの周りのものは、みな綺麗にするのが得意。

 それは、すぐ飲める水が、すぐ傍にあったという世界の中では特異な恵まれた地であったから。

 神様に敬意を払う為に、神様に会う為には手を洗う。この意識が生まれた時から、日本人は台所から離れた場所に厠を作るようになった。

 食べたものを作るところと出すところは別の場所。縄文時代、既に日本人にはこの意識があったことを貝塚が示す。

 ゴミは、こちら。食べものをいただくところは、こちら。汚いものと清らなものは分けておかないといけない。

 神様には敬意を払わないといけない。だから神様の周りは綺麗にしないといけない。この観念が生まれた時から、日本人は分けるという作業をし始めた。

 だから木の器は洗う。土器は一度使ったら滅却する。神様に使うものだから、一度使ったら壊す。

 もっとも壊すといっても毎日壊すわけではない。米は貴重品。毎日あげられるわけがない。貴重な米を粥とし、その最初の一さじを器にもった。

 また新しい粥を捧げる為に古い器をさげた時、粥はあげた時とは、違った状態になっていることに気づいた。 

 これが日本の酒の始まり。日本酒は、世界中の他の酒とは異なる形態で出来上がって来る。他の酒は、材料についている菌が作ってくれる。

 日本酒は、麹菌が作ってくれる。神様に捧げる為に米を洗い、米を茹で、神様の為にと捧げた。そうして神様のもとからさげた時、新しいものが生まれていた。

 国菌が、この国にしかいない麹が手を媒介して、米を酒にしてくれた。

 宇摩志阿斯訶備比古遅神 (ウマシアシカビヒコジノカミ)、炭水化物の神にして、酒の神。

 上手く日本の菌と結びついた炭水化物が米。麦でも酒を造ることが出来る。芋でも酒を造ることが出来る。

 だが、米の酒だけが、それを飲むと痛みが減った。風邪も治った。甘酒は昔は夏の飲み物だった。夏の酷暑に弱った身体に滋養をつけるには甘酒がいいと考えられていた。

 酒、味噌、醤油、みりん、米酢、焼酎、漬物。

 日本の酒や調味料、発酵食品の多くは麹菌によって、生み出されている。手前味噌という言葉があった。

 人の手の常在菌は一人一人違う。大豆を洗い、米を洗う。洗う人の手ごとに、それぞれの家ごとに異なる味噌が生まれていた。

 米は、その家の香りがする。米を研いだ人ごとによって炊いた米の香りも変わる。炊いたご飯の最初の一盛りを神様に捧げる。

 それが、その家の神様が好きなご飯の味。

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