Go Toキャンペーンが中止になったという報を聞いた翌日、今年最後の古事記講座に行ってまいりました。国が明に暗に「手、口を清めて家篭れ」と言っている時に
「お正月というのは本来物忌の時。年が明けるから正月ではない。素戔嗚神の御子神である歳の神を迎える月がたまたま正月だけだったこと。
の時となる。刃物を立ててはダメ。血を流してはダメ。これは歳神‘が家を訪れている間は大歳の紙に身を捧げないといけないから。
7日を過ぎたら当主が歳神を田に連れて行き、その年の豊作と繁栄を祈る」
というお話をお聞きしたのが、この日だったということが符牒のようで、ああ必要な時に必要な話は聞く機会が巡ってくるものだという思いがでたりもします。
今年一年お聞きしてきた神々は一般的にはメジャーな神ではありません。なにせ国産みの神である伊射那岐、伊邪那美が現れる前の神々ですから古事記の中では1ページにもみたない神々です。
日本という国は本当に大事なことは口伝で伝えきた国ですから、これらの神々が何故大事なのか、どのような指針を示してきたのかということも口伝えで伝えてきたのです。
口伝えで伝えるということは、お前は確かに受け取ったのか、ということを伝える方が受け取る方の様子で見極められるということです。伝える方が受け取る方に受けるだけの力があるかを見極める能力があるということです。
受け取る方が間違った受け取り方をしていたら、その場で即座に正す力があるということです。
受け取る方に、今伝えなければ行けないことは何か?を選択できる力があるということです。
今回語る神が意富斗能地と大斗乃弁であることと今の現実との奇妙な一致を宗匠自身が感慨深く語られたところを見ると、伝えられる方だけが受け取る時を見極められているのだけでなく、伝える方も語るべき時を誰かに選ばれているのかもしれません。
今回私は宗匠からお札をいただきまして。11月に宗匠のお宅のお社で新嘗祭が行われた時に、せっかくのご縁ですからとお米とお酒を奉納させていただいたのですが、奉納の証として神社のお札をいただいた訳です。
その時に新嘗祭の時のお話になりまして。ニュース映像などで見たことがある方もいらしゃるかもしれませんが、神社では亀卜など、それぞれの神社に伝わる方法で来年の気を占うのですね。
来年の気は「さくはほう くにまとまるのそうあり」これは必ずひらがなで書きなさいと宗匠はおっしゃられました。
気は受けたもの、現れたものをただそのまま読み取るもの。それをどのように解釈するのかは人の側にかかっているのです。
間違った解釈をするとどうなるかといういい例が上田明成の雨月物語の中の一編にありますね。「吉備津の釜」という物語に出てくる神社。あれは実在する神社なのだそうです。
神に問いを立てて、神が「是」と言ったら釜が鳴り、神が「否」と言ったら釜が鳴らない。
ある一組の男女の縁組を占った時、釜はうんともすんとも鳴らなかった。けれどその縁組は男性側にとっても女性側にとっても良縁としか思えない組み合わせだったので、双方の親は釜が鳴らなかったことを自分達に都合の良いように解釈して二人を結婚させた。
その結果は……という物語なのですが、とある紀行文でモデルとなった神社の方が
「あの冒頭は、この結婚は上手くいかないという不吉の前兆として書かれているのではなく、神の忠告も人は容易く無視するという意味で書かれているのではないか」
と話されておりまして。釜が鳴る、鳴らないという明確な違いが現れるものに対してすら、人は自分に都合のいいように解釈する。
まして現れた兆しを読み取るだけの言葉なら自分にとって都合のいい方、都合のいい方に解釈するのが人という生き物の持っている業でしょう。
「私達は自らの選択は正しいと確信を持って間違う」
ムアコックのエルリックサーガの一節ですね。恋人も、信頼できる友人でもある臣下も、その選択に反対したのに己が正しいと思う選択をしてしまったエルリックについての言葉(その選択がどういう結果のかということについてもムアコックはしっかり書いています。
「さくはほう くにまとまるのそうあり」
この言葉は二つの結果を連想させます。
それぞれは弱い一つ一つが個々の力を合わせ、大きな困難に打ち勝っていく(今年、鬼滅の刃が一大ムーブメントとなった要因の一つはこれでしょう)
そしてもう一つは、目の前の不安や喪失感に耐えきれなくなって、それを打ち消してくれそうなものに自ら望んで呑み込まれていき、個を無くしていくこと。
後者についてはコロナ禍前にすでにその傾向はありました。必要な学びも含めて経済政策への優先順位が必ずしも高くない日本の左派と違って、欧州左派の経済への関心は高い(アベノミクスと欧州左派が求める積極的な金融緩和と公共投資がほぼ同じであるあたり、そりゃ日本で野党への支持が広がらないよね、という気がしますね)
彼等が近年経済政策に対して力をいれるのは、このことに対しての危機感があるから。欧州では、第一次世界大戦後困窮した人々を放置した結果何が起こったのかを覚えている人達がいる。
そんな状態に陥ったのは自己責任だろうと突き放した結果、どういう痛手を負ったのかも覚えている人達がいる。生活への不安から極右や極左に流れる人が増えることの恐れは日本とは比べものにならないくらい高い。
仮初目の経済政策の成功と黒い羊を作りあげ、不満をそちらにぶつけるように誘導させたことにより国を一つにまとめたドイツと横ネットワークの繋がりで庶民はしぶとく困窮状態を耐え忍び、国をあげてナチスに抵抗したイギリス。
(イギリスの場合、ナチスの政策に魅せられたのは、労働者階級よりも一時の経済政策の成功を評価していた知識階級であることが興味深い。それぐらい「経済政策の成功」という言葉は人々を魅了する。
もっともナチスの経済政策については長期的に見れば破綻するしかないものであったという研究者が近年出ておりますが)
古事記は語る。人が悲しむとはどういうことか。人の死など珍しくもない時代に、悲しみのあまり嗚咽すら出ない状態。茫然自失し目の前で起きていることをただ見つめるしか出来ない状態とはどういうことか。
台風で収穫直前の田畑が壊される。地震で建ててきたものたちが崩壊する。大火で築きあげてきたものたちが消えていく。津波で昨日まであった全てのものが流される。
人はただ見つめることしか出来ない。身近な人の死を悲しいと思うことすら出来ない。ただ茫然とした。起きてしまった事実。現実とは、とても信じられない事実にただ茫然とした。
とても受け入れられない起きてしまった出来事にただ茫然とするしかなかった。
横を見ると自分と同じように茫然としている人がいた。同じ災禍を共に経験した。信じられない現実を共に見てしまったという共感が人を寄せていく。
オオトノジ、オオトノベ。二柱の神。オオトとは大きな星という意味でもあり、起立したもの、勃起したものという意味もある。
男性器が起立した状態。すなわち性エネルギーが露わになった状態であり、生エネルギーが露わになった状態でもある。
男性器や女性器を生命を生み出すものとして神聖視し、その象徴を崇める現象は世界中で見られる。日本に限った話ではない。
人は生命力のあるところ、強いエネルギーのあるところ、強いリーダーシップを持つもののところに集まる。
ジは男性名詞を表し、べは女性的なものを表す。ジが地面を表し、べがそこに集うものを表す。
大きな災厄に茫然自失した人々が集う大地に旗が立つ。大きな星があがる。性エネルギーに溢れた男、生命エネルギーに溢れた男、希望や目標という大きな旗を振る男という大きな星が。
強いリーダーシップを持つもののところに、ふらふらと共感力が集まってくる。ふらふらと人が集まり社会が生まれる。
動物の集団の中で、オスは一匹でいい。だがメスは集団を作れる。一匹のオスにメスが集ってヒエラルキーを作る。女性の社会がオオトノジに集った状態がオオトノベ。
オオトノジが旗を振る。けれど一匹のオスを中心にした集団で一番強いのは中心となるオスではない。オスを中心とした社会を形成するもの達。ヒエラルキーで社会をつくりあげたもの達。そのヒエラルキーのトップに立つメス。
女性が社会を左右する。狂信的にヒトラーを支持したのは女性。女性が変な方向に集団で向くと歴史は歪曲していく。
この場合の女性というのは生物としての女性の他に、男性性に相対する存在としての女性性。リーダーとリーダーを支持する形で社会を形成しているサイレントマジョリティという意味合いもあるでしょうから、指しているのは生物としての女性だけではありませんね。
清らかな人ほど危ない。危ない人ほど清らか。悲しみ、不安は掻き立てれば掻き立てるほど、答えが一つしかない。
「それより、良くしよう」
そのベクトルは、どこを向いているのか?そのベクトルを示せる人間が政治者または祭祀者。どう考えても負の方向に向いているが強い言葉を持った祭祀者が次の方向に掻き立てるだろう。
あらぬ方向、想像を絶する方向、ぶっ飛んんだ方向に行く推進力も不安。政は常に不安を持たないと推進力がない。勃起しづらい時代の勃起者が一番怖い。
旗を示しにくい時代に旗を掲げるもの。強い言葉を発するものを審神者するには聞くものの力が試される。キリスト教ではミカエルとルシファーは双子。天使長と魔王は瓜二つの姿をしている。
日本の神様は目の前にはおわさない。目の前ではなく横におわす。人の横で人が見ているものを見ている。人の横で人がすることを見てくれている。
一神教の神は微笑むけれど笑わない。日本の神々は笑う。楽しければ楽しいほど笑う。楽しければ笑い、嫌なことは拒絶する。
来年は、神が笑う一年となるのでしょうか?神が笑う選択を私達は出来るのでしょうか?
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