第十二回 淤母陀琉神(おもだるかみ)と 阿夜訶志古泥神(あやかしこねかみ)

1月の古事記講座がありまして。今月の講座も良かったな〜、来月はオンラインではなく直接お話をお聞きしたいな〜と思いつつ、何の気無しにTVをつけたらアメリカ大統領の就任式のニュースが流れておりまして。

今月の口座とのシンクロぶりに、ああ、これ冒頭の対談で宗匠が

「僕が語るのではなく語らされている気がする」

 と、おっしゃっていたのが分かるなあ。聞くべき時に、聞くべきことを、それを知っている人が知らない人にきちんと伝えるように誰かが時を選んでいるような気がするなあ、と思いました。

 今月は神代七代の六代目。今回語られる神々で日本が生まれる前に存在していた神々の話はお終いです。来月からは日本が生まれてからの話。国産み女神である伊邪那美とその夫、伊邪那岐の話となります。

ですから今月までは日本が生まれる前の話、日本という国の成り立ちを知る前に知っておかなければいけない大事な話と古事記の編者が考えていた話となりますね。

 大切なことを語る前には、何故それが大事なのかを聞き手が理解していないといけない。でないと語り手が語ったことを聞き手が受けとめきれないかもしれない。

 インタビュー、聞き書き、対談などを読むと分かるのですが、語りものを読む時が語り手だけでなく、聞き手が誰かを確認することも大事なんですね。聞き手の力量によって内容の質が結構左右されるのですよ。

 聞き手に力量があると話し手からどんどん聞きたい話を引き出してくれるから深い話になるし、そうでないと事実の羅列だけのような浅い話になる(藤田貴美さんの「Exit」でやりたい仕事と求められる仕事の間で悶々としていたインタビューアーが、ビジュアル人気先行と見られている売れっ子ミュージシャンと彼らが置かれている現状と発表した楽曲をズレなく理解していることを会話から示したうえで的を射た質問で本音を引き出させた音楽評論家の丁々発止のやりとりを目の当たりにして「未熟〜!」と己の力量のなさに落ち込む場面があったなあ。

逆に森まゆみさんの「風々院風々風々居士 山田風太郎に聞く」は良かった。

さすが聞き手の名手。若い頃から皮肉屋で、人を煙に巻くのが得意で、一筋縄ではいかない山田風太郎からあそこまで色々話を引き出しましたもの。

二人とも知識量が半端じゃないから打てば響く会話ができたというのも大きかったでしょうけど。この二人、ご近所の噂話程度の感覚で明治大正の話をするのよ)

今回語られた神は、淤母陀琉(おもだる)と 阿夜訶志古泥(あやかしこね) 。淤母陀琉神が兄神、阿夜訶志古泥神が妹神。

つまりこの神々も前回語られたオオトノジとオオトノベ同様に、対ととなった神々で、一つのものを形作る男性性と女性性。どちらが欠けても成立しないある状態を象徴する神々となります。

神代六代、今まで語られた神々はそれぞれ、それぞれの時代を象徴した。太陽を求めてアフリカ大陸を後にした人々は、ユーラシア大陸を横断し、海を渡り、東の果てで太陽は手に入らないことが分かった。

それでも諦めずさらなる旅を続けることを選んだ人々以外は極東の地に留まり、太陽が手に入らないなら太陽を管理することを選んだ。

次はどこから太陽が出てくるのかを管理する。この人に聞いたら、この時期どこに太陽が上がり、どこで木の実が手に入るのか。

無論、最初はそのようなことを専門とする人はいない。

狩猟で暮らすことの出来た豊かな実りある地とはいえ、食物を自ら手に入れようとしないものを養うほどには豊かではない。採集は狩人の腕に左右される。

目利きのものほど自分の狩場を荒らされることを嫌って己の手で実りを手に入れようとする。

そうした中で人々は、植物を狩ることでなく育てることを覚える。太陽を管理する者の言葉が重みを増す。

穀物の中から小麦ではなく米を育てることを選択し、より大きな実りを手に入れる為に集って力を合わせ、田畑を、コミュニティを作る。

太陽を管理するものを田畑を耕すもの達が養っても困らないほど実りが得られるようになっていく。

いや、むしろ太陽を専門で見ているものがいた方が、その他の者達に利が大きいことが理解されるようになっていく。

こうして祭祀の専門職が生まれていく。私達が貴方を食べさせてあげる。だからあなたはずっと太陽を見ていてください。太陽がずっと私達に恵みを与えてくれているように。

けれど、この国の神々は常に恵みを与えてくれる存在ではない。自然災害は容赦なく人を殺し、建物を破壊し、コミュニティを崩壊させる。

コミュニティの崩壊は太陽を管理するものの怠慢。災禍が起きることを防げなかった。コミュニティが崩壊することがないように災厄から人々を守ることの出来なかったものの怠慢。

そうして災害によって田畑を、建物を、コミュニティを壊されて絶望に泣き、泣きながら手を動かし続ける人達の間に声の大きなものが現れる。

絶望に泣く人々の間に道を示してくれるリーダーが立ち、リーダーに率いられた人々によって社会ができていく。

オモダルとは顔が長い。色々な人に顔が効くということ。オモダルという神が出た段階で日本に王が出来た。

神に対する人の代表者。祭祀者が大きな仮面をつけて神に相対するものであることを示すのは日本に限らず、祭祀の時には見られること。

全てにおいて、長く大きい顔を持つものが王となる。顔が長く大きいとは、すなわち声がでかい、目がでかい、耳が大きく、心臓が大きい。

声がでかいとは、声に言葉に人を従わせる力を持つものということ。

目がでかいとは、これから何が起こるのか見通せる力を持つということ。

耳が大きいとは、情報を漏らさず掬いあげるということであり

鼻が効くとは、危ないものは何かを嗅ぎ分ける力があるということ。

そして心臓が大きいとは、それが必要なことであれば周りのものが考えつかないような大博打を打ってでもやり遂げる大胆さがあるということ。

王の成立が事訳の十二柱の神で一番重要。王権がどうやって成立するのかを記したのが古事記の序章

王権の成り立ち方に、西洋の国々とは違う日本の特徴がある。大陸の国々は国を城で囲う。王は自分の支配する地を、自分のテリトリーを城壁で囲う。

城壁の中は王の持ち物であり、王の持ち物であるが故に領民は守られる。

城壁の外のものは、誰のものでもないものであり、すなわち誰もが奪ってよいものである。

城壁の中のものを奪い傷つけることは王の報復を覚悟しなければいけないが、城壁の外のもの、自分のものではないものの為に戦う王などいない。

従属と引き換えに安全を得る。強い群れの長に従うことで弱者も利益を得る。

男性原理の強い社会は単純で分かり易い。強いか弱いかで全てが決まる。強いものが力を持ち、弱いものがそれに従う。

城壁に囲まれた社会の中で秩序が成り立っている。

日本は城壁を持たないで社会が成立した。王権の成立期の話としてオモダルを語る人は多い。だが王はどうでもいい。オモダルはどこにでもいる。王を持たない社会などない。

日本の社会を特徴づけているのはオモダルでなく、アヤシコネ。軍事を司る家ではアヤシコネと呼び、政を司る家ではイカシコネと呼んだこの女神が外国とは違う日本の特徴を表す。シコネは強権を意味し、アヤは複雑、イカは強さと固さを意味する。

複雑な強い力を持つ神。崩せない強い固さを持つ神。すなわち女社会。女性原理の強い社会。単純な力の強弱だけでは強さが決まらない社会。

男社会と女社会の違いは漫画の世界にすら現れる。少年漫画は強さを競う。強さを競うもの達の物語が好まれる。だが、少女達が好むものはそれだけでは足りない。

とある地方に伝説がある。二柱の神が女神を取り合って争った。争いに勝った神が振り向くと、そこに女神はいなかった。女神は戦いに敗れ、しょんぼりと去っていった神が可哀想だと、その神の後を追いかけて行ってしまった。

戦いには勝ったが恋には負けた神が大きなため息をつくと、そのため息が湖となった。とある地方の湖が出来た由来。

こういう伝説が残るのが日本の社会。女社会、女性原理の強い社会は単純な力の差では勝者は決められない。力の強弱は強さを決める要素の一つ。女社会は口が立つもの、仲間を作れるものが強い。

城壁のある社会では、城壁の中を守れるもの、群れを従わせる力のあるものについていくことで社会が成り立った。

いつ群れを襲うかもしれない外敵に囲まれた社会では堅牢な壁の中で強い王に従うことが生き延びる為に有効だった。

島国ではベクトルが違った。海という天然の要塞に囲まれた社会では、要塞の中に城壁を作る必要がなかった。

生き延びる為に壁に籠る必要がなかった。強い男性原理に従わなければ生きていけない社会ではなかった。

一つのものは表と裏、大抵二つの意味を持つ。海は外から襲いくるものを防ぐ盾となり、内から外へ渡りゆく為の壁となった。

遣隋使、遣唐使達が海を渡って異国に行くのに、どれだけの苦労を重ねたのかは記録に残る。

敗走したものが、外へと逃げていくのが困難が土地なら、外へと逃げて行かなくてもいい方法で生き残りを模索するしかない。

争いを避け、協力し合い、けれど自分達の立ち位置を崩さないように、状況を見極め手を打つことは忘れない。

王は一人でいい。中央にある塔は一つでいい。船頭が多い船は沈む。誰もが認める一番は一つでいい。だが、それを支える一番のものは我が一族でなければならない。

女性原理の強い社会では、周りのものが認めたものではないと王にはなれない。女は力の強弱だけでは王となるかは測らない。

女は子供を育てる。力あるだけで餌を独り占めにするような男を、どうして王と認めよう?

自分が育てる子供が死なないように餌を分け与え、危険が近づかないように気を配り、無事育ち切るまで守り切る能力があるものだけが王であり、それ以外はその他のもの。

女は自らが認めたものでないと王とは認めない。自らが認めたもの以外の声は聞かない。声の大きなもの達を見つめ、値踏みし、振り落とす。

そうして振り落とした後に残ったもの。自分が聞いてもいいと思ったものの声だけは聞く。ただ一つの認めたものにだけ忠誠を尽くす。そのもの以外の声にどうして従う必要があるのだろう?自分が認めたわけでもないのに。

王が男性性を表すのなら、民は女性性を表す。女性という社会構造は、ものすごく複雑で、けれど固く崩すのが難しい。女性性が作っている団結力。強い根があるからオモダルができる。

複雑に絡み合ったそれぞれの思惑。複雑に絡み合う女性性が成り立たせる社会。女性性という根が国の真ん中にいる祭祀を支える。

アヤという言葉が持っている社会性、イカという言葉が表す塔を倒さないという気持ちに対しての決意。

民主主義は、本来は民衆から代表が出ている。その人を代表にしようと決めているのがイカシコネ。ただ、このイカシコネ、アヤシコネがどんな根っこなのか、どんなベクトルを持っているかで社会が変わる。

金属のベクトル、人と人との繋がりのベクトル、太陽を祀るというベクトル。古来日本を動かしていたのは、この三つのベクトル。これらが三つ巴となって、この国を動かしていた。

音楽で社会を構築していた社会もあれば、土器で社会を構築していった社会もあった。それらは、やがて別の根に吸収されていった。吸収されることで命を繋いでいった。

これほど狭い地域で、これほど文化の多様性がある国は他にはない。他の根を吸収し、根は太さを増す。

太くなった根が複雑に絡みあい、中央にある塔を支える。下の根が複雑であればあるほど、塔は高く盤石になる。

中央にある塔がどうやったら勃起し続けられるのか。生命力を発揮し続けられるのか。

一つの塔を崩さないように、男性性が象徴するものを崩さないように、集まった女性性が、複雑に根に張り、根を張る為に深化し、水を吸い上げ、真ん中にあるものを健康にしていく。

社会のそれぞれの専門家が、それぞれの専門を深化し、社会の一員となることで真ん中にある塔に力を与える。

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