コロナ禍が始まってから運動不足解消の為に朝の散歩を日課にしているのですが、少しずつ日が長くなり梅の香が強くなってくると新しい年がやってきたなあという気がいたします。
私、手帳は旧暦手帳を使っておりまして。習い事のお師匠さんが監修に関わったので使い始めたのですが、やはりあれ便利ですね。
新暦の日付に、その日の旧暦とその日の日付の様子が記されているのですが、新暦の暦と旧暦の暦を見比べながら、ああ、今日は旧暦だとこの日かあと思って服装を整えると失敗することが少ないような気がします。
暦と体感との間のズレがあまり無くなるのですね。やっぱり体感的には旧暦の方が暦にあっているよなあと少しずつ開いていく梅を眺めながら思います。
2月12日をもって旧暦でも年が明けまして、新旧ともに新しい年を迎えました。新しい年の訪れを「新春おめでとうございます」と寿ぐのは旧の暦で迎えるとぴったりいたしますね。
今月の古事記講座も旧暦の話から始まりました。昔の人というのは夜がなかったそうです。
夜がない。すなわち夜起きていられる手段がない。
箱根富士屋ホテルの思い出話を綴った本にこういう話がございます。政府のお雇い外国人も多かった明治の初め、箱根の山に避暑を目的として高級リゾートホテルが出来上がりました。まだホテルという言葉もあまり知られておらず、一般の人々にとっては旅籠という言葉の方が馴染み深かった頃の話です。
宮ノ下の住人は見慣れる造りの新しい建物について近隣の住人にこう自慢したそうです。
「うちの村には夜でも明るい建物があるぞ。ホテルって言うんだぞ」
夜でも明るい、灯りに不自由しない。それは明治の世の中になっても羨望を誘う言葉であり、人に自慢できることでした。
夜を過ごす為、灯りを灯すことのできる建物に棲む。それは富の象徴であり、限られたもの達だけの特権でもありました。
一般の人が手に入れられたのは、煮炊きをし、家を暖める為の囲炉裏の灯り。それも夜輝くのは、火を絶やさない為に燃やし続ける小さな熾火の明るさでしかない。
ガスもマッチもない時代、火を起こすと言うのはとても大変なことであり、家の火が消えてしまわないように守るのは、その家の女達の大事な勤めでもありました。
それが、どれほど大切な勤めだったのかは、うっかりと熾火を消してしまった為に火を分けてくれる人を求めて真冬の最中、森を彷徨い歩いたロシアの民話でも分かります。
そうすることが当然であると、ごく自然に思うほど一般の人にとっては火は貴重なものでした。
祭りの日は、その貴重な火が闇を照らす。篝火が行き交う人の姿を照らし出す。それが特別な日であることを光が人々に伝えました。
伊勢神宮の遷宮は、今では雨でも行います。けれどかつては、雨になると遷御じゃ翌日に延ばしておりました。
今の祭りは新暦の暦で行います。暦と月とがあっていない。新月が遷宮と重なる時もある。
けれど、かつては祭りの時は必ず満月。祭りは月に合わせておりました。
御神体は夜、新殿に渡る。幕が上がるのは必ず、夜。
篝火に照らされた明るいところを渡るのは御神体を掲げる者だけであり、付き従うもの達は暗いところを歩まなければいけませんした。
新の暦に合わせれば、朔の日。新月の夜でも祭りは行われる。供人は、足元も見えない真闇の中を歩むことになる。
旧の暦では、それは異なる。日本の祭りは基本15日に行われる。新月で始まる旧の暦の15日、すなわち満月の夜。月明かりが供人の足を照らす日。闇を恐れることなく、日頃夜を持たない人々が集うことができる日。
反対に朔の日、新月の夜に行われる祭りもある。天の月に代わり、松明が煌々と闇を照らす火祭り。
あちこちにかかげられた松明が、燃え盛る炎の煌めきが鮮やかに闇を退ける特別な日。
旧の暦で行うことで日本の祭りは楽になる。そのいい例が東北地方以外では新暦で行われることなっている七夕。
乞巧奠では神に何を捧げるのかは決まっている。桃、梨、白瓜、枝豆。
農業技術、冷蔵技術の発達で7月に手に入れることが不可能ではなくなったとはいえ新の暦の7月では、やや季節がずれるもの。
旧の暦の7月だと季節が揃う。本来の七夕は桃や梨が取れる時期。
旬のもの、その時期に取れる一番美味しいものを神さまに捧げていたのが季節の供物。暦がずれたので供物が生活からずれた。
神様が一番美味しい旬をいただけるように。そういう意図をもって捧げられていた供物の意味がずれた。
新暦は経済をまわすにはいいが、日本人の生活には旧暦の方があっている。
海の恵み、山の恵み、田畑の恵み、全ての恵みを与えてくれた神々にこの時期採れる一番美味しいものを捧げましょう。
旧暦に合わせると食べ物も神ごとも楽しい。
お祭りの本質はものをいただくこと。
夕食をいただく時に旧暦に合わせていくと季節感が取り戻せる。
かつての日本人は暦を見なくても今がいつか分かった。女の人の着物と空を見れば何月何日か分かった。この季節には、この着物。この季節には、この帯。
梅、桃、桜、紫陽花、朝顔、芒に紅葉。
便利さと引き換えにした季節の移ろい。楽しいと面倒は裏表。面倒だけど楽しいか、楽しいけれど面倒か。効率だけに価値を置くと後者の声が大きくなる。
そうして面倒に負けた楽しいが消えていく。
70年台の初め、エンデは「モモ」の中で灰色の男達に言わせた。
「皆さん、時間はどこから手に入れますか?」
「それは倹約するしかないでしょう」
松岡正剛は
「エンデは『時間』を『幸福』と見立てたのではない」
と書く。
「モモは失った時間を取り戻したという話ではない。エンデはあきらかに時間を『貨幣』と同義とみなした。『時は金なり』の裏側にある意図をファンタジー物語にしてみせたのだ」
と記す。
「われわれは生と死という両端の無明に挟まれて危険な日々を生きる不断のリスク・テイカーなのである。いや、そのはずだったのだ。
ところが『お金』が発達するにつれ、われわれのリスクはすべからく値段に換算されることになった。
いまや出産も葬式も、結婚も病気も、洗濯も食事も、教育も音楽も、おいしい水も山の空気さえ、マネーゲームに関与しないものはない。
リスクはすっかり貨幣に乗っ取られてしまったのだ。」
西洋の国々にあわせて明治政府は暦を太陽太陰暦からグレコリオ暦に変えた。列強の時代、西洋の国々と対等につきあうのは、その方法が良いのだと信じた。
新暦への切り替えが行われる直前の姿を渡辺京二は来日した外国人の目を通して描き出し、「逝きし世の面影」を読んだ恩田陸は
「あれは血のつながった私達の先祖という先入観が人々の目を狂わせている。あれは既に失われた文明の記録。
今を生きる私達とは違う価値観、違う文化を持つ人々の記録であり、だからこそ渡辺京二はタイトルに『逝きし世の面影』とつけたのだ」
と評する。
生きる為に、かつて大事にしていたもの、かつて大事にしていた価値観を捨てることは珍しくない。
中国では革命のたびに古い神を捨てていく。古い神、かつて大事にしていたもの達。
神を捨てるという行為も珍しくない。アイルランドの妖精達には、力を失ったかつての神という伝承がある。西洋の悪魔には、元を辿ると異教の神々だったという例は腐るほどある。
海の向こうの国々は神を捨てる。生きる為に捨てる。従わさせる為に捨てさせる。
唯一の神を信じる国々では、それを信じないものは異端であり、排除すべきもの。あるいは神の光に触れたことのない哀れなもの。教化し、導いてあげなければいけない幼いものであり、それに従わないものは、魔女、異端者、悪魔を信じるも者であった。
日本人は、唯一の神なんか欲しくなかった。神様が助けてくれなくても仏様が助けてくれる。そう思えない状況なんて欲しくなかった。
それは信仰が認められるようになっても潜伏キリシタンがカトリックにたち帰らなかったことからでも分かる。
キリシタンへの締めつけがきつかった地域は、喜んでカトリックに帰参した。けれど、締めつけがそれほど厳しくなかった地域の人々はカトリックに戻らなかった。
江戸期を通じてキリシタンへの弾圧が激しかったわけではない。時代が進めば対応も異なる。地域によっては弾圧も形骸化する。
小さな島では秘密を守るのは難しい。実は、あの家はキリシタンだと周囲の住人は誰もが知っていたとしても好感をもたれている家の話なら皆知らぬ顔をする。
幕府から遣わされる役人とて好んで弾圧したい訳ではない。きちんと年貢を納め、寺社への詣りを欠かさず、周りから悪評の訴えのないものをキリシタンだという理由で罪に追いやるのはしんどい。
目に余る行為、はっきりとキリシタンと分かる行為が見えないのなら知らぬふりをしてやるのも上に立つ者の務め。
弾圧により信仰に固執する必要のなかった者達には、自分達の信仰を捨てることにためらいがあった。
神社の氏子となって祭りに参加し、先祖の供養の為にお寺に法事を頼み、家族の無事を祈ってデウスやマリア様に祈った。
カトリックに戻るということは神様や仏様を捨てることとなる。
デウスやマリア様は大事。でも神様や仏様も大事。ローマ教皇庁はバチカンの寛大さを示す為、彼らもキリスト教徒であると認めた。21世紀になってようやく公式に認めた。
それまで彼らは「自分達の神を信じる。だが自分達が崇める神以外のものも信じ崇める」という在り方をする者達への対処の仕方が分からなかった。
神が光明である彼らには、神は光明ではない。光明ではない故に神であるという神観念は自分達の理解の外にあった。
一神教には救いがある。この世の終わりには絶対神が救ってくれると思う希望がある。
日本の神には希望がない。神代六代の神はどの神も希望など語らない。神が表すのは、全て、辛く、悲しく、汚いことばかり。
光を、太陽を、恐怖を克服してくれるものを求めて、遠い旅を続け。遠い東の果ての地で、それが叶わぬ望みであることを悟り。手に入らないのなら、せめて太陽を管理することで満足しようとし。
日の動きを、天候を管理することで豊かな実りを得られる筈が、その努力を荒ぶる自然にあっさりと無駄にされ。ひと時悲しみを忘れる為に肌を重ね合い、泣きながら失われたものを取り戻す為に手を動かす。
泣いている人々の間に、声の大きな者、道を指し示す者が現れ、その者を支えるように様々な者達が根を張り、社会を形作っていく。
新しいものが出るたびに、日本人は新しい神を得る。新しいもの、新しいものが持つ新しい情報。新しい情報から得る新しい考え方、新しい基準。
私達は新しいものが好き。その時に出た一番新しいものに食いついてしまう。
日本の神は希望を言葉にしない。希望がないから私達は新しいものが好き。
新しいものには何かがある。新しいものの先には希望がある。きっとこの状況を変えてくれる何かがある。
私達は希望を求めて、新しいものを求める。新しい情報を得ようとする。新しい神になろうとするものを探す。
新しい事象、新しい経験、新しい情報を得ることによって、新しい悲しみ、新しい怒り、新しい体験を増やしていく。
そうして私たちを変えるものを神とする。私達に大いなる変化をもたらしたものに神としての地位を与える。
では、何故私達は始まりの神というとイザナギ、イザナミの二柱を思い浮かべるのだろう。この二柱の前に神代十二柱の神がいたことは確かに古事記に記されているというのに。
それはこの二柱の神が最も私たちに理解しやすいことを行なったから。この神々が現れることによって、日本人は西洋や他の東洋の国々と大いに異なる神観念を得ることになったから。
神代六代までの神観念は、日本以外の国々とも共通するものがある。イザナミ、イザナギの登場によって日本の神観念は日本独自のものとなっていく。
イザナミ、イザナギの登場から日本という国の話になっていく。
では、このニ柱の神は日本に何をもたらしたのだろう。
イザナギ、イザナミは幸福を希求する時代を生んだ。神代十二柱の神は幸福を希求しなかった。
幸福を希求するという新しい考えをこのニ柱の神は生んだ。
長い歴史の中で、人は幸福を求めたことはなかった。幸福を求めるなんて、そんな余裕はどこにもなかった。
人が幸福を求めるようになったのは、ここ数十年の僅かな間。それも死の恐怖と縁のない生活を送る人々に限った話。
世界の歴史の中で、今ほど人間が幸福を感じた時代はない。昔の人々は良かったと訳知り顔で言う人はいる。かつての人々は豊かだったと、残された過去の遺物。美術、音楽、文学を賛美し、その美しさ、豊かさがどこから生まれたのか、何故生まれたのか、その背景を考えない人は多い。
現実が過酷であればあるほど、人はそれを忘れる美しいもの、楽しいものをより求める。
東日本震災の時、避難所で出版社が差し入れた漫画雑誌を皆競って読み耽った。ひと時楽しいものに触れている間だけ、現実の辛さを忘れていられた。
美しいファンタジーが増えれば、増えるほど、その時代の生きる過酷さが読み取れる。
生きることに一生懸命で、いっぱいいっぱいだったから、人は自分は幸福だ、なんて口にすることはなかった。自分は幸福か?なんて考える余裕もなかった。
イザナギ、イザナミの時代には幸福という言葉はなかったかもしれない。幸福という言葉の代わりに、日本人は組織を作った。幸福という感情を生み出せるものを作った。
組織的であればあるほど人間は幸福になれる。人が一人で生きていけるのは、周りが組織を作っているから。一人で暮らしていける生活を成り立たせる社会が組織的に動いているから。
農産物は、物流会社という組織によって生産加工会社に運ばれる。生産加工会社という組織によって作られた商品が、販売店という組織で売られ、一人で暮らしている人が金銭と引き換えにそれを手に入れる。
日本がかなり組織的な社会であるからこそ、幸福という感情を意識しない幸福が形作られていった。組織があるからこそ、人の暮らしが成り立つ。
日本人は組織を求める。それは幸福を希求するには組織が必要であることを理解しているから。
幸福を希求する。日本という国の共通の目的の先祖。日本の神観念が新しもの好きというというのは、全てイザナギ、イザナミというこの二柱の神から出ている。
幸福を得る為に、新しい色々なものを誘いこむ神。
イザナギ、イザナミ。誘や、ナギ。誘や、ナミ。誘い込む男、誘い込む女。
夫婦神だと規定したのは江戸時代。それまでは一対の神であるという記録しかなかった。一対の兄妹神。あるいは姉弟神。
イザナギが女、イザナミが男と記録もある。確かなことはこのニ柱は兄妹神であり、兄妹ということは同時に生まれたということではない。生まれた時に差があるということ。
日本という国を生んだ神。日本が初めて犯した罪を生んだ神。イザナギとイザナミの最初の交わりは失敗だった。
結婚すると決めた神々は天の御柱の周りを右回りと左回りで巡り、出逢ったところで互いに向かって呼びかける。
「ああ、なんて素晴らしい男でしょう」とイザナミが賛美し、「ああ、なんて素晴らしい乙女だろう」とイザナギが応える。二柱の間に最初に生まれたのは脚腰の立たないヒルコだった。
オオトノジとオオトノベ。オモダルとアヤカシコネ。起立する男性性と地に根を張り支える女性性。トップとそれを支える組織。
イザナミが先に声をかける。
「ああ、なんて素晴らしい男でしょう!」
男性性よりも強い女性性。トップよりも強い力を持つ組織。イザナギとイザナミの最初のまぐわいは失敗した。
支える組織さえしっかりしていればトップはそこそこでも良かった筈だった。
けれど、その結果生まれたのはヒルコ。立つことすら出来ない神。女性性だけが強くなった時、何も生み出すことは出来なかった。
女性性、すなわちトップを支える組織だけが強いのでは失敗する。組織だけでなくトップも強くなければいけない。
ここで舵が変わった。トップを育てなければいけないという方向に舵取りを切った。
私達は、新しいものが好き。新しい情報が好き。新しい情報を得ると新しい考え方ができる。かつての自分を棚に上げて、新しい考え方に沿った行動を取ることができる。
トップが最初に「応援してね」と言わないと上手くいかないという情報を得た。イザナギが最初に
「ああ、なんて素晴らしい乙女だろう!」
と呼びかけないと上手くいかないという新しい情報を得た。だったらすぐにやり直してイザナギから声をあげないといけない。トップから組織に向かって、先に声をかけないといけない。
この違いをすぐに切り替えられたのが我が国。新しもの好きという国民性が失敗を受け入れさせ、トップを返り咲きさせた。我々がそういう人間だから、イザナギ、イザナミが現れた。
新しい情報をどんどん得て、古いものを封神していく。古い情報を頭の中に掻き込んで新しい情報を得ていく。神様という名前で古いものを格納していく。
災害の中で、たまたま偶然生き残った人達が古いものを捨てないで格納してきた。絶滅の危機を新しいものを取り入れたことで生き延びていけるようにした。
災害に見舞われた人々は、食べる時に痛みや悲しみを忘れられることに気がついた。
日本は米を主食に選んだ時から個で食事をすることができなくなった。
小麦はパンにしておけばいつでも食べられる。だから食事はそれほど大事ではない。
西洋は個で食べられる。1週間は持つ大きなパンを焼き、一切れずつ切って食べる。パンがあれば、あとはスープでも温めればいい。共に食卓を囲むものがいなくても食べられないということはない。
日本は個でいるとご飯が食べられない。米は炊いたら、すぐ劣化が始まる。すぐすえて発酵してしまう。だから食事が大事だった。皆が一度に集まって一緒に食事をする必要があった。
同じ釜の飯を一緒に食べている間だけ痛みや悲しみを忘れられた。炊き立てご飯を食べる幸せ。食べるということが活力を与えてくれる。
皆で集まって食べるということが幸福。その最小単位が夫婦。
情報を共有する、経験を共有することが大事。その最小単位が二人。だから対にした。お互いに情報を共有できる。幸福を共有できる。
新もの好きで、幸福好きがこの二柱の神。
古事記は我々が諦観を覚える為の教科書。為政者も間違えるから諦めろ。そして失敗は失敗だけでは終わらない。古事記は失敗例を捨ておかなかった。
その時にはそうだった。その時には役に立たなかった。けれど未来ではどうだろう?
イザナギ、イザナミの手でヒルコは海に流された。けれどヒルコが乗せられたのは葦船。体温を奪う木の船でなく、軽く温かい葦の船。葦船に乗せて流すということでヒルコがどれだけ大切にされているかが分かる。
大切だから葦の船に乗せて流した。大切だから取っておこう。その段階では威力をなさない。そうして海に流された神は別の形で古事記に現れることとなる。
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