コロナ禍なので大きく伝えられていませんが、今年は聖徳太子1400忌なので色々イベントが開催されておりますね。
奈良と東京、それぞれの国立博物館で記念展覧会が開催されておりますが「コロナでなかったら両方はしごするのに!」と嘆いている人もおられるのではないかと思います。
また同時に東京の国立博物館では「聖林寺十一面観音三輪山信仰のみほとけ」展も開催されておりまして、歴史にそれほど興味がない人も幕末から明治にかけての大混乱に思いを馳せやすい構成となっております。
何故、この二つの展覧会は明治から幕末にかけての大混乱を連想させるのかと言いますと、法隆寺展、聖林寺展ともに廃仏毀釈の荒波をくぐり抜けてきた寺宝や御仏が展示されているからです。
聖林寺の御仏は元は大神神社境内にあった大御輪寺内にあったもの。
国立博物館にある法隆寺宝物殿にある御物は、なんとかして寺宝を守ろうとした法隆寺を助けようと皇室が献上物として受け取ったもの。
ともに世の中の大激変によって起きた迫害から寺の、人々の宝を守ろうとした人達がおり、その人達を助けようとした人々がいて今日私達が目にすることが出来るもの。
じつは上皇陛下は歴史上初めての「相続税を払った天皇」でありまして。政府は、いいと断ったのですが、陛下の方が「国民は相続税を払うのだから納めたい」と納税されたそうで。
さすがに金銭で納税されると取り扱いをどうしたらいいのか政府が頭を抱えることになるので物納されたそうですが、この時多くの御物が国のもの、すなわち国民のものとなりまして、おかげで一般庶民の私達も国宝となったかつての御物を目にすることが出来るようになったわけです。
神仏でさえ、世の中の大混乱とは無縁でいられなかった時代。そういう時代が来る、ほんの少し前「ええじゃないか」と人々が踊り狂ったことがありました。
入り鉄砲に出女。江戸時代、庶民の移動には色々制限はつきもので。特に農民は逃散につながらないよう厳しく制限されていましたが、それならばと無条件で認められる旅がありました。
伊勢神宮参詣。子供や奉公人が伊勢神宮参詣の旅をしたいと申し出た時は親や主人は、これを止めだてしてはならないとされ、もし親や主人に断りなくこっそり旅立ったとしても伊勢神宮にお詣りしてきた証としてお礼や守りを持ち帰れば、お咎めは受けないのが通例でした。
したがって庶民にとっては大手を振って旅行が出来る貴重な機会。お伊勢さまにお詣りすることは、ある者にとっては一生にただ一度だけ許された観光旅行。
またある者にとっては他地域の農民と新種の種や農業技術の交換を行う貴重な情報収集の場。
お伊勢詣りに限らず、寺社詣りは送りだされた者だけでなく、送りだした者にも利益がある。
その為、人々は請という仕組みを作り、請に所属する人々は定期的に集まってはお金を積み立て旅費が貯まったところでくじを引いては代表者を決め、自分達の代表者として送り出しました。
この代表者達をもてなすものを御師という。慣れない伊勢への旅でも御師が迎えてくれるのなら憂いはない。
伊勢に馴染みはなくても、暦を配ったり、豊作祈願を行ったりする為に度々やって来る御師には馴染みがある。
知っている顔が参詣の作法や伊勢の名所案内、はては花街の案内までもしてくれるのだから楽しみにしない筈はない。
庶民にとっては一生に一度は行ってみたいと思う憧れのまと。武士に町人、女性達、それぞれが綴った伊勢までの旅日記が人気を博したのも「今は行けないけれど、いつかは」という憧れが人々の間にあったことを示すことに他なりません。
その憧れが幕末になって思わぬ形で爆発した。
黒船来航以前、既に日本は混乱の中にあった。浅間山噴火により天明の大飢饉がようやく収まったかと思えば、新潟では三条地震、京都では文政京都地震、山形では庄内沖地震と震災クラスの大きな地震が続き、そのうえ天候まで人々を苛んだ。
長雨による洪水と冷害は飢饉を招き、大坂では幕府与力が飢えた人々の救済を求めて乱を起こした。
幕府も手をこまねていたわけではなく、この窮状を何とかしようと天保の改革を始め、様々な改革を行ったが望むような結果にはなかなか繋がらなかった。
ペリー来航も予想していなかったわけではなく、列強の動きから
やがては異国船が開国を求めてやってくるであろうことは察知してはいたが、外国の動きは幕府が予想していたよりも早く、浦賀沖まで黒船の侵入も許すこととなった。
アメリカとの和親条約により鎖国は実質的に終わりを告げ、庶民でさえ国の変化を感じざるをなかったというのに、更に天と地は騒ぐ。
長崎に、蝦夷地に異国船が到来したと噂が語られた頃、よりもよって善光寺がご開帳している時に信濃では善光寺地震。浦賀と同じ相模にある小田原では黒船来航の前年に小田原地震。
アメリカとの和親条約が結ばれた年の夏は、伊賀で伊賀上野地震。同じ年の冬、遠江、駿河、伊豆は東海地震に襲われ、その翌日に今度は紀州で南海地震。更に二日おいて、今度は伊予と豊後が豊予海峡地震で被害を受ける。
人々の頭の中で黒船来航と各地で続く地震が結びつけられたとしても何の不思議もない。この国を覆う災厄が祓われることを願って元号は安政へと改められたが、これで地震がおさまることはなく、春には飛騨地震、秋には陸前地震、そして晩秋の江戸では安政の大地震。
地震は火災を呼び、新吉原では逃げることがかなわなかった女郎達が千人以上亡くなり、地盤堅固な山手にあった武家屋敷でさえ被災する。水戸藩上屋敷では徳川斉昭を支えた藤田東吾が庇った母親とともに圧死。この時、藩士をまとめる重鎮達を失ったことが、勝者は誰もいないと評された凄惨な水戸藩内紛へとつながっていく。
安政の世を襲った災害は地震だけではなく、この年台風も大いに暴れて人々を苦しめ、そのうえ長崎から始まったコレラの流行が山陽道、東海道と人々を殺しながら江戸まで達し、江戸だけで三万人以上の死者を出し、コレラだけでは足らないだろう、といらぬ働きを見せる疫神が麻疹までをも流行らせる始末。
地震、台風、疫病とそれだけでも人々が苦しむのは充分なのに、武士は攘夷か開国かを巡って対立し、互いに譲らず殺し合う。
どうせ殺し合うならお武家さま達だけでやってくれればいいものを、押し借りは横行するわ、御用盗は強盗、殺人に加え、放火までをも繰り返すわで夜も落ち着いて眠れない。平穏、無事に穏やかな毎日を過ごしたい人間にとっては気が休まる時がない。
もういい加減にして欲しいと思っている人々のもとに御師が配った伊勢のお札が降ってくる。誰かが言う。
「天からお札が舞ってきた。これは慶事の前ふれだ!」
その言葉を耳にしたものは一瞬驚き、そして納得する。そりゃそうだ。天からお札が降ってきたのだもの。ずっと嫌なことばかりが続いてきたのだもの。このあたりで何か良いことが来ないとおかしい。
伊勢の大神様が、これから良いことがやって来る先触れとしてお札を撒いてくださったのだから、早く早く良いことが来て下さるように伊勢まで行って大神様にお願いしなくては!
そうしてお札を拾った人々は伊勢へ向かって踊り出し、伊勢まで行けない人々は大神様に自分達がどれほど良いことを待ち焦がれているのか分かるように男は女装を、女は男装をして「ええじゃないか!」と踊り出す。
「ええじゃないか、ええじゃないか、ええじゃないか」
慶事には酒と料理がつきもの。
「ええじゃないか、ええじゃないか、ええじゃないか」
ひらひらと舞う伊勢のお札。お札はどこに落ちてくる?大切な神様からのお知らせを見逃すことのないように、気づく人が沢山いる大きな家の屋根の上に。
「ええじゃないか、ええじゃないか、ええじゃないか」
あそこの屋根に伊勢のお札が降ったと。そりゃ、そうだ。あそこは、お大尽だもの。あんな豊かな家ならば伊勢の神様が良いことがやって来るよとお札を降らせてくれたっておかしくない。これは祝いに行かないと。
「ええじゃないか、ええじゃないか、ええじゃないか」
あそこのお屋敷にはお札が降ったと噂で知った人々は祝いの言葉を言う為に次から次かへやって来る。慶事への祝いを寿ぐ為にやってきた人々を、「おや、そうですか」と追い返す訳にはいかない。
「ああ、ありがとう。せっかくの祝いだ。来てくれたんだから、おまえさん達も楽しんでおくれ」
お札が降った家の主人は、やって来た人々に料理と酒を振るまってもてなす。
「ええじゃないか、ええじゃないか、ええじゃないか!」
次から次へと続いた災厄で町には困窮した人が溢れていた。元からの住民だけでなく災害で田畑をやられ、食べていけなくなった農民が都市部に流れ込んでいた。そういう人達の耳にも「あの家にはお札が降った」という噂は届いた。
「ええじゃないか、ええじゃないか、ええじゃないか!」
どんな人であれ、お祝いを言いに来てくれた人を追い返すわけにはいかない。何日もまともに食べていなかった人達はお囃子を耳にしながら夢中になってかきこんだ。
「ええじゃないか、ええじゃないか、ええじゃないか!」
これからいったいどうしたらいいのか、途方にくれ空腹を抱えていた人達は、久しぶりに腹がくちくなり、そのうえ酒まで振るまわれ、何だかとてもいい気持ちになった。ようやく周囲を見回す余裕のできた者の目と耳に、踊り狂う人達と明るいお囃子が飛び込んでくる。
「ええじゃないか、ええじゃないか、ええじゃないか!」
満たされた人達は、いつしか踊りの輪に加わる。
「ええじゃないか、ええじゃないか、ええじゃないか!」
欧州では飢えた人達は、剣と銃を取った。「パンを寄こせ!」と拳を振り上げ、自分達を抑えつけるものに石を投げた。
日本では飢えた人達は踊り狂って要求した。否定ではなく、肯定の言葉を叫んで要求した。
「ええじゃないか、ええじゃないか、ええじゃないか!」
踊り狂ってもええじゃないか。生きることを楽しんでもええじゃないか。自分達は生きていてもええじゃないか。否定ではなく、肯定の言葉をあげて抵抗した。
自分の命は自分で責任を持つ。どうしようもなくなった時、自分以外の誰かの責任にしたがるのが人の常。
男女問わず、魔女だと災厄を運ぶものだと人々から刻印を押されたもの達が、反論することすら許されず迫害される例は世界中腐るほどある。それを良しとしなかったもの達がいた。
誰かをスケープゴートにすることで己の優位さを守ろうとするのではなく、自分で自分に「ええじゃないか」と言うものが。自分で自分に責任を取ろうとするもの達がいた。
かつて古事記は歴史書だと考えられていた。歴史書だと思われていたから読み続けられていた。近代教育が始まるまで歴史という言葉はなかった。国を治めるものが宮中の中ならばともかく、下々の庶民に至るまで古事記を歴史書だと教え込もうという発想はなかった。
なのに何故、古事記は読み続けられてきたのか?何故、史だと思われ続けてきたのか?
それは、誰もが読んでもこれが自分達の歴史書だと考えられる史だったから。
国を治める宮中に住まうもの達だけが、これを自分達の歴史が記された史だと思ったわけではない。山の民も、里の民も、海の民も、これは自分達の歴史だと思ったから読み続けてきた。
これが私達の歴史だよ、と子供に伝えるのが相応しいと思ったから読まれ続けてきた。それは何故か?それは誰にとっても納得できるヒーローがいたから。
山の民には山の民の。里の民には里の民の。海の民には海の民の。それぞれのヒーローが描かれていたから。どの民にとっても
「これが私達の祖先だよ」と誇れる神が記されていたから。
この国に住まうどの人が読んでも「これは自分達の為に書かれたもの、自分達の歴史である」と分かるように記されている史。
どの立場にあるものが読んでも納得できる歴史書。切り口が山ほどある歴史書。だからずっと古事記は読み続けられてきた。色々な切り口があるので語っていて飽きない。
今回の慎古事記は、人間力を切り口にして語ってきた。人間力の集大成を話していた。人間力という切り口から語られる古事記。
かつては夫婦と、共に国を創ったものとして語られたイザナギとイザナミは、カグツチの誕生によって、火を扱う技術の進歩によって夫婦別れをした。
イザナミとイザナギに、出雲と大和にどれほどの技術の差がついたのかは今でも島根に残る製鉄技術の冴えからも伺える。
既に火を扱う技術を玉鋼という純度の高い鉄を生み出せる手に入れていたイザナミは、技術の進歩についてこれないイザナギを、ついてこれるように社会体制を変革できないイザナギを共に手を組む価値はなしと見放した。
イザナミを諦めきれないイザナギは、共に再び手を組もうと交渉したイザナギは、交渉に失敗し、イザナミとの戦いに負け、ほうほうのていで出雲を逃げ出すこととなった。
共に手を組んでいた時は、鹿島神宮のある地域まで勢力を広げていたというのに、それらを全て失い、日向まで宮崎まで押し込められることとなった。
かつての大国が小さな、小さな国となった。禊をせねば、徹底的に行政改革、政治改革をせねば生き残ることが出来なくなった。
イザナギは人々から身削がれた。自分の体に染みついた長年の垢を落とさねば、危険を冒してまで身削ぎをしなければならないほど人心が王から離れた。
神とは人心の仮託。イザナミと別れたイザナギは三柱の神を生んだ。三つの人間力を得た。
イザナギが最初に生んだ神はアマテラス。イザナギは、イザナミと別れた後、人間にとって最も崇高な人間力を得た。最も大切な人間力を得た。では、アマテラスの人間力とは何だろう?
太陽が欲しいとアフリカを後にした時、人は動物と分かれた。太陽が象徴する安全と明るさ、暖かさを手に入れたくて太陽を取ろうと追いかけて、追いかけて、それでも手に入らないと分かった時、太陽を取ろうという考えは太陽を祀ろうという哲学に変わった。
哲学が動物と人間を分けた。では、太陽の最も大切な役割は?何故太陽が出ていると人は安全なのか?
太陽は相手を視認させてくれる。自分の目の前にいる相手が人間なのか、動物なのかを人に視認させてくれる。安心できる仲間なのか、自分達を捕食する獣なのかを区別させてくれる。
太陽がないと我々は視認できない。太陽が出ている間だけ、我々は全てを区別できる。目の前にいる何かが敵ではないということを知ることができる。
太陽は人を蝟集する。明るければ人が集まれる。最大の人心。あそこは明るい、大丈夫。あそこは明るいから、あそこにいるものが何か分かる。あそこにいるのは人の姿。あそこに行っても大丈夫。人がいる場所は安全。
集まろう、集めてしまう。アマテラスは人を集める。およそ、この周りにいるもの。アマテラスの周りにいる全員を集めてしまう。
光とは、人を集める力。「光あれ」という哲学は「人、集まれ」ということ。
一人では出来ることの範囲が狭まれる。人が集まれば、人が集った面積以上のことが出来る。光さえあれば、人が喧嘩しても止めることができる。
人間力は個人だが、蝟集しないと人間力を爆発させられない。イザナギは光が人を蝟集させるということに気づいた。
光をもって人を集める。そこに人間力の発露があることにイザナギが気づいた。イザナギは古い国を建て直したのではない。
新しい国を建てた。豊葦原中国はイザナギの国からアマテラスの国となった。新たな国を持つほどの人間力。
人が蝟集してどうなったのか?神様を創った。イザナギは神を創った。神代七代、最後の神。イザナギ、イザナミまでの間日本には神はいなかった。イザナギもイザナミもその時の社会現象であって神ではない。その証拠にこの二柱の神はこう呼ばれる。
伊弉諾尊、伊弉冉尊。尊すなわち尊称をつけて呼ばれる人であり、神ではなかった。アマテラスの代から神様が出てきた。アマテラスは何と呼ばれる?天照大御神。御神、すなわち神。
アマテラスは自分を拝ませた。ここで日本という国に神様が出てきた。イザナギ、イザナミ以前の神々、神代六代と呼ばれるもの達を人は拝んだ。人にはない力あるものを人は拝んだ。
便利で暖かいもの。悪いことをしないように鎮めるもの。人より力のある大いなるものとして拝んできた。
神様には崇高さが必要。神代六代までの神は神ではなく、自然。イザナギが太陽を神とし天照大御神と名付けた。
哲学は神様を受け入れるか、拒絶するかに帰結する。哲学は神様がいるか、いらないかということを判断する学問。
イザナギは神観念を作った。人は絶対的崇高者がいた方が強いということにイザナギは気づいた。
人が集まれば集まるほど絶対的崇高者がいた方が強いことにイザナギは気づいた。
それまで日本には絶対的崇高者はいなかった。
絶対的崇高なる考えの前に人の言葉が無くなる。人の世には絶対はなく、相対しかない。誰かの善は、誰かの悪となり、誰かの利益は、誰かの不利益となる。
人の世に絶対者を作ることは独裁者を作ることでもあり、恐怖で支配することは出来ても人心は集められず、その無理はやがて瓦解する。
イザナギは人の世以外のところに絶対者を創った。何かをしてくれる神ではなく、何もしてくれない神を創った。
何もしてはくれないけれど、ずっと見ている絶対者を創った。あれが見ている。あの神様が見ているという崇高者を日本人は手に入れた。
西洋の神はジャッジメントする。西洋の神、西の国の絶対者、西の国の崇高者は判断する。それが善か、悪か。していいことか、悪いことか。許されることか、そうでないのか。それは神が決める。
最後の審判の時、判決は神が下すと西の国の絶対者は告げる。日本の神はジャッジメントしない。これが蝟集における人間の力。
人が見ている。あれが見ている。お天道様が見ているという感覚を身につけて日本人は二千年きた。
人知る、地知る、天知る、我知る。誰が見ていなくてもお天道様が見ている。
そうして、その感覚は日本人を支えてきた。二千年、日本人を支えてきた人間力。
長きに渡り、日本人を支えてきた人間力にとうとう賞味期限がきた。
かつては誰が見ていなくても、お天道様が見ているという人達の方が多勢だった。誰が見ていなくてもお天道様が見ているという矜持があった。
お天道様が見てらっしゃるから、お天道様に恥じない行為をするという矜持があった。誰も見てなくても、誰も咎めなくても、誰も褒めなくても、お天道さまが見てらっしゃるという矜持があった。
それがお天道さんが見ていたって、やりたいことをやるよ、という人が多勢になった。見ているだけで何もしないなら罰を受けることもない。
損をしないなら、やりたいようにやるよという人が多勢になった。矜持を持つ者が多勢でなくなった時代がいよいよやって来た。見ていて気持ちが悪い。
矜持よりも損得で動く人が多勢となった。お天道様に恥じないように、衿を正し、背筋を伸ばして歩く人がマイノリティとなった。
二千年の間、天照という矜持は日本を神の国にした。何もしてはくれないが、常に見ていてくださる崇高至高の目があったから恥を知ることが出来た。
人が集まらないと社会は出来ない。人が集まり、群れとなったから、集団の中でどうすれば快適な状態を保てるのか、やっていいことと悪いことの判断がつくようになった。
明るくて人が集まるから、己のその行動がやっていいことか悪いことかを判断できた。暗いところから太陽のもとに出ていこう。そうして人が集まってきた。太陽のもと人が蝟集することが、この国も力になっていった。
古びたこの国を、かつての力を失ったこの国を、新しいものを生み出せなくなったこの国を、太陽のもと蝟集した人の力で生まれ変わらせようとイザナギは考えた。
自分とかつての連れ合いが生み育てた国を、光り輝く新しい神、天のどこにいても人々を見つめる、地のどこにいても人々が見上げることができる新しい神へ委ねようとイザナギは考えた。
そしてイザナギは隠れ宮へと住処を移し、この国は天照を仰ぎ見る国となった。お天道様が見ていると人が自分で自分を律する国となった。天照という人間力が人を動かす国となった。
その人間力に終わりが来た。賞味期限が来た。これからは、そういう時代で無くなっていく。時代は元には戻らない。人心は一度動いたら止められない。そして止めるべきではない。
動き始めた流れは緩やかにすることは出来ても止めることが出来ない。河の流れは、いつでも一方通行。無理に堰き止めれば歪みが生じる。逆流すれば河から溢れて被害を及ぼす。
時は止められない。それが人間力。この国の人間力は新しい扉を開けようとしている。次の人間力は何なのか?今は、それは分からない。蝟集した先をどこにもっていくのか?何をしにこうとしているのか?
天照は、そういう役目を持った神だった。何もしてくれない。けれど、いつでも見ていてくださる。
「ええじゃないか、ええじゃないか、ええじゃないか」
伊勢には我々に何かしてはくれないけれど、常に我々を見てくださっている、至高の存在だと我々が思っている神様がいてくださる。
「ええじゃないか、ええじゃないか、ええじゃないか」
伊勢の神は何も言わない。我々が生きる為に足掻いても。我々が生きる為に悩んでも。生きていくことのしんどさと苦悩を忘れる為に一時踊り狂っても。
伊勢の神は何も言わない。ただ我々を見ている。
バチカンに棲まう人々が崇める神は判断を下す。審判を下す。
伊勢の神は判断は下さない。審判は下さない。何もしてくれない。ただ見ている。
神様が見ていてくださっているから、神様に恥じない行為をするという私自身の矜持。
こんな素晴らしいものだと、ことさら声高にアピールする必要はない。褒め言葉が欲しいが為に外国人に分かってもらう必要もない。これは私達が居住まいを正す為にあるもの。我々自身の矜持。
矜持を持っているという神様、これが天照。イザナギが一番大切だと思った人間力。
この国ではジャッジするのは神ではない。人間側に任されている。自己責任だから「ええじゃないか」が成立する。神は判断を下さない。審判を下さない。ただ見ている。
人間力には賞味期限がある。イザナギは己の賞味期限が来たことを悟り、新しい神を生んだ。賞味期限が終わったイザナギの代わりに天照という新しい人間力が来た。
その天照の人間力にも終わりが近づいている。人間力が向かっている先はどこなのか?この先どうなっていくのか?天照でないものが歴史を作っていく。それは何か?
天照はジャッジをしない。AIはジャッジをする。我々はそれを受け入れられるのか?
これから先、我々に矜を立たせるもの、我々に自分を見つめさせ自分を律しさせる至高なものが神になってくれるかは判らない。
太陽は何もしてはくれないけれど、見ていてくれる。行動するのは私達。それはいいも悪いもない。
日本にはずっと禁忌がなかった。タブーがなかった。日本の女性には原罪というものは存在しない。イブのようにアダムを誘惑したと神に断罪されることはない。
「なんていい女なんだろう!」
イザナミはイザナギの賞賛を受けて共寝をした。
「なんていい男なんでしょう!」
たとえ後に夫婦別れしたとしても二神は互いの魅力を褒め称え合って結婚した。
イブは原罪を犯した罰として出産の苦しみを得たと記された。
イザナミは、この八十島を、豊葦原中国と呼ばれた地を、豊葦原中国に棲む者達を守護する多くの神々を、イザナギと共に生み出した偉大な母として讃えられた。
この国にはタブーはなかった。タブーは我々自身が作ったもの。日本の神様にタブーはない。神様に託されて我々がタブーを作っている。自分で自分を縛っているのは私達。
縛っているのが自分なら、必要がの無くなったタブーを変えていくのも自分で出来る。
天照はジャッジしなかった。AIはジャッジする。加えられた情報を元にこれが正しいと判断を下す。
今の小中学生はジャッジされることを嫌がらない。既に下された判断に従って動く方が、下された判断について自分で考えてから動くよりも時間が早くて効率的だ。賢いことを人は選ぶ。
世界は常に等価交換。何かを得る代わりに何かが失われる。時の流れを止めることは出来ない。世の流れを止めることは出来ない。私たちは何を得た代わりに何を失ったのかを覚えていられることが出来るのか?
天照。あまねく照らす。何もしてくれないけれど神は常に見てくれている。
神様は神社にいない。あれはお社。日本の神様は何処にでもいる。天の上から見ていてくださる。人の横にもいてくださる。人の横にもいて私達と同じものを見ていてくださる。私達の悩みも苦しみも私達と同じ目線で見ていてくださる。
だから我々には矜持がある。あまねく照らすお天道様のもと、お天道様から身を隠さずに暮らすものは、共にこの地で暮らすものとして受け入れる多様性がある。
見慣れる異装をしていても、聞き慣れぬ言葉を話しても、目を丸くするような行為をしていても、お天道様に恥じない生き方をしているものは、この日の本の国に暮らす日本人。
聖徳太子は十七条の憲法で一番最初に「以和爲貴」と記した。これを「和を以て貴しとなす」と書き下し「わをもってとうとしとなす」として読み「何をするにもみんな仲良く争わないのが良い」と解釈する人が多い。
「わ」は輪であり、円であり、閉じている。内からは出ていけず、外からは入れない。閉じられた世界の中で輪の中にいる者達だけで協調することを美徳としたい者がいる。
この書き下し文には別の読み方がある。「やわらぎをもってたっとうしとなす」
やわらぎは円ではない。閉じていない。色々なものが混じりあい調和して一つになっている状態。だから「やわらぎをもってたっとうしとなす」は、色々なもの達が緩やかに協調しあい、一つの調和を生み出している状態が尊いと告げている言葉になる。
あまねく太陽の下で、出自の異なるもの達、立場の異なるもの達、様々な違いを持つ者達が、同じ日の本の民として緩やかに協調しあっていることを尊ぶのか。
それとも閉じた円の中で、閉じた円の中の世界だけを絶対として、円の外に棲まう者達にもそれに従わせようとすることを望むのか。
新しい扉の先で、次の時代の人間力が、いったいどんな姿をしているのかを、やがて私達は知ることとなる。
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