第21回 スサノオ

  今年も一月を切りまして大河ドラマも終わりに近づいてきましたね。今年の大河のキャスティングが発表になった時、福井県福井市出身の津田寛治さんが武田耕雲斎であることに幕末水戸藩の悲劇を知っている人達の間でざわっとした空気が流れました。

 何故、ざわっとした空気が流れたのかについては水戸天狗党の顛末とそれが水戸藩について及ばしたものを山田風太郎が記した「魔群の通過」をお読みください。

 幕末、賊軍の代表にされてしまった会津藩でさえ藩の俊英達を明治の世の要職に送り込んだのに、そして同胞の苦難を忘れなかったその若者達が「会津は賊軍じゃないぞ!俺達が会津の汚名を晴らしてやる!」とばかりに後世の世に続く大きな足跡を残したのに、何故水戸藩では、それが叶わなかったのか?がとてもよく理解できる名著でございます。

 幕末の悲劇においても、会津藩ではなく水戸藩を題材に選ぶことからも分かるように山田風太統は世の闇を冷徹に見据えて描く作家でした。

「明治ものにおける司馬遼太郎と山田風太郎は同じ世界のポジとネガ。二人を読み比べると明治という時代がよく分かる」

 と言われる所以でございます。

 とはいえ、かつて映画化された伊賀忍法帖が漫画化され、そのイラストがパチンコにまで使われたことでも分かるように山田風太郎といえば忍者ものというイメージが強い作家かもしれません。

 この忍法帖のシリーズの中に「忍者本多佐渡守」という短編がございます。宇都宮釣天井事件に題材を取ったお話なのですが、これがなかなか山田風太郎らしい一篇です。

 徳川家康の片腕と言われた名参謀本多佐渡守(数々の映画、大河ドラマの中でも家康の側近中の側近として常に傍に侍っておりましたね)

 この本多佐渡守が息子ほどにも年が若い土井大炊頭にこう語る。

「……大炊どの肝に銘じておかれよ。主君に傷をおつけせぬためには、そのかたわらにあって、奸物、佞臣とそしられる人間が要るのでござるよ」

 それが、どういうことであるのか佐渡守は言葉ではなく、自分が仕掛けた謀略を見せることによって土井大炊頭に教える。

 主君家康が長年の忠臣であった大久保忠隣の排除を決めた時、佐渡守は家康が排除を決めなければ眠らせたままでいた仕掛けを実行に移した。

 やがて家康は死を迎え、その後を追うように本多佐渡守も死を迎えるが、死を目前にしてとあることから佐渡守は気づく。

 本多家に罠が仕掛けられたことを。自分の愛弟子が自分の教えを忠実に実行できるほど成長したことを。

 佐渡守は、恐怖と喜び双方を感じながら死ぬ。

 時代は、二代将軍秀忠の時代に移り、秀忠が佐渡守の息子である本多上野介の排除を決めた時、土井大炊頭が仕掛けた罠が現れる。

 本多上野介の失脚の後、土井大炊頭は年若い小姓に言う。

「肝に銘じておかれよ。主君に傷をおつけせぬためには、そのかたわらにあって、奸物、佞臣とそしられる人間が要るのでござるよ」

 その小姓の名は松平長四郎。長じて、膠着状態に陥った島原の乱を現地到着後、僅か一月あまりで鎮圧し、「知恵伊豆」と称され、三代将軍家光に

「我ほど果報の者はあるまじ。右の手は讃岐(酒井忠勝)、左の手は伊豆」

 と語らせるほど信頼された老中松平伊豆守信綱の若き日の姿である。

と、まあこういうお話です。天下を安寧に治める為には私情を捨て、謀略も辞さない非情さを持つものが必要である。

 これが、「人間の生態を医学者のごとく冷厳に表現する作家」と評された山田風太郎の特徴であり、同時にその非情さに抵抗しようとする人々の姿も描き、「表には冷笑的で皮肉な態度を保ちつつも、この人の胸底には人間のもつ真率で純粋な熱誠に感動する熱い心が匿されていて、折にふれて露頭せずにはいない。この人間の尊い熱誠が歴史という怪物によって踏み躙られるとき、彼の最高の作家的情熱に火がつく」というこの熱さが没後20年以上経っても新たな読者を惹きつける魅力の一つでございましょう。

 さて、この山田風太郎にならって古事記を見直すと一つ気になることがございます。スサノオはアマテラスの天の岩戸籠りの後、高天原を追放された。

 これが世に語られている言葉です。では何故、草薙の剣は高天原にあるのでしょう?ご存じのように、草薙の剣はスサノオが八岐大蛇を退治した時、その尾から取り上げた剣です。

 スサノオは、その剣を高天原におわすアマテラスに献上した。自分を追放した高天原に住む姉に献上した。

 自分を追い出した人達が住む場所に何故スサノオは剣を献上したのでしょうか?そもそもスサノオを追い出す方向に仕向けたのは誰でしょうか?

 アマテラスが岩戸に籠ったことを理由に神々がスサノオを高天原から追放することを決めました。アマテラスがスサノオに向かって

「高天原から出ていけ」

 と告げたわけではございません。古事記には、そのように記されてはおりません。追放を決めたのは神々。天照大御神が何をしたかについては触れられていない。すなわちアマテラスは、そのことを知らない。

 高天原から追放を言い渡された時、スサノオがうちひしがれていたかどうかは分かりません。分かっているのは、髭を切り、爪を切り、それまでとは異なる姿で高天原を後にしたことだけ。

 高天原を追放された後、すぐにスサノオは出雲に向かったと思っている人は多いですが、とある異伝では、スサノオはすぐに出雲には行っていない。

 スサノオは自分の剣から生まれた娘たち。宗像三女神に導かれて韓の国へとまいります。そして少しの間滞在した後

「ここは、自分のいる場所ではない」

 と宣言して韓の国を後にする。多様性を象徴する神が、「ここは自分の場所ではない」と宣言する。ここにスサノオの闇が隠されております。

 韓の国を後にしたスサノオは、出雲に渡り、斐伊川の上流、船通山へたどり着く。そこでスサノオは美しい媛とその両親が嘆き悲しみ、涙を流している姿に出会う。

 何故泣くのか?と問うスサノオに両親は答えます。

「私達には、この娘を含めて八人の子供がいましたが、毎年、高志の八岐大蛇がやって来て、娘達を食べていってしまいました。

 今年も高志から八岐大蛇がやってくる時期となり、最後に残った末娘さえも食べられてしまうかと思うと悲しくて泣いているのです。」

 そこでスサノオが八岐大蛇とは、どういうものだと訊ねると

「その目は、大きく赤く、一つの一つの胴体に、八つの頭、八つの尾があります。其の体には苔ばかりか、杉や檜まで生えており、長さは八つの谷をわたり、八つの山をこえるほどです。その腹はいつも血がにじんでただれています」

 それを聞いた後スサノオはしばらく考えた後に言いました。

「この媛が、あなた達の娘というのなら私の妻にくれせんか?代わりに私が大蛇を退治してあげよう」

 その言葉に夫婦は応えました。

「恐れながら、私達は貴方のお名前を存じません」

 スサノオは、その問いに答えます。

「私は、天照大御神の弟です。そして今、天から降りてきたところです」

「恐れ多いことでございます。ならば、貴方様に娘を差し上げましょう」

 スサノオは光り輝いていたので、夫婦にはスサノオが天神だと分かりました。夫婦の承諾を得たスサノオは、クシナダヒメの姿を爪櫛に変えて、自分のみづらに刺した後、夫婦に向かってこう告げます。

「あなた達は、八回も繰り返し醸した強い酒を造り、垣根を作り、その垣根に八つの門を作り、門ごとに八つの桟敷を作り、その桟敷ごとに酒樽を置いて、その樽に強い酒を満たしておきなさい」

 そこで夫婦は、その通り準備をして待っているとやって来た八岐大蛇は、八つの頭を八つの酒樽に入れて、ごくごくと酒を飲み始め、やがて全てを飲み干すと酒に酔い寝てしまった。そこでスサノオは眠りに落ちた大蛇の首を叩き落としました。

酒を醸すには熱がいります。八回も繰り返し酒を醸すことが出来るほど、温かい何かが出雲にはあった。

 大蛇が再び蘇らないように、スサノオはその身を十拳剣で切り刻みましたが大蛇の尾を切った時、固い何かに県が当たり、十拳剣の刃が欠けた。

 そこで不思議に思って、剣の先で八岐大蛇の尾を切ると中から素晴らしい剣が出てきました。

 これが世にいう天叢雲剣。日本の三種の神器の一つ。これをスサノオは姉に捧げます。

自分を追い出した高天原に住まう姉に。自分を追放した天津神々が仰ぎ見る存在である天照大御神に捧げる。

 剣を高天原の主に捧げましたが、引き換えに天に戻ることをスサノオは乞いませんでした。自分が大蛇から救ったクシナダヒメを妻として、そのまま出雲に留まります。

「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」

 これからクシナダヒメと住まう土地を求めて、須賀まで来た時、ここを新居と決めて詠った歌。日本最初の和歌とされる歌。結婚の祝いの席で新たに夫婦になった者達の幸せを祈る為にしばしば詠われた歌。

 クシナダヒメを娶ったことで、スサノオは国津神となることになります。三貴子の一柱、高天原の主、天照大御神の弟という天津神の中でも敬意を捧げられる存在でありながら、国津神の祖となる神となる。

 国津神を率いる神、大国主はスサノオの血筋に連なる神。スサノオとクシナダヒメから数えて六代後の子孫。

 この大国主がスサノオの娘であるスセリヒメと恋に落ちる。因幡の白兎を助けたことで知られ、「大黒様」と童謡にも歌われ親しまれて大国主。

 娘への求婚者を試す為

「これぐらいのことが出来ないような奴に娘はやらん!」

 とスサノオが与えた試練をスセリヒメの協力で乗り越え、スサノオの裏をかいて駆け落ちする形でスセリヒメと結婚し、まんまと裏をかかれたスサノオに

「お前の持つている大刀や弓矢を以つて、おまえの兄弟の神々を, 道の行手の山の坂に追い伏せろ。道の行手の河の瀬に追い払え。

おまえは、大国主神と名乗り、宇都志国玉と名乗って出雲を治めよ。我が娘スセリヒメを正妻として, 宇迦山の山裾に、地の底の岩根までも深く宮柱を埋めて、高天原に届くほど屋根の高い立派な宮殿を構えて暮らすがよい。この野郎!」

 と祝福された神。スクナヒコという協力者を得て日本を造る神。

 イザナギ、イザナミが国生みで知られた神ならば、大国主は国造りで知られた神。豊芦原中津国の国造りは、このスサノオの娘婿が完成されたとされております。

 さて、ここで一度話を前に戻します。スサノオが高天原を追放された後、すぐには出雲に降りず、いったんは韓の国に向かったという話は日本書紀の異伝に記されている。

 古事記も日本書紀もともに、この国の成り立ちを人々に伝える為に編纂された書物ですが、誰に伝えるのか、その対象に違いがある。

 古事記は、この国の中の人に向けて、この国の成り立ちを伝える為に編まれた。

 日本書紀は、この国の外の人に向けて、この国の成り立ちを伝える為に編まれた。

「我が国は、このようにして生まれ、このように素晴らしい歴史がある」

 そのことを異国の人達に伝えることを目的とした書物の中に何故スサノオの韓渡りについて記されているのか。

 何故、スサノオは新羅に渡った後

「私は この土地に居たくはない。」

 と言い、船を造って東を目指して旅立ったのか?

 高天原から天降った時に数多く持参した木の種を、何故最初に天降りた新羅には何も植えずに持ち帰り、子供達に手伝わせて日本の各地に撒いたのか。

「韓国の島には金銀がある。子孫が治める国に船が無ければきっと困るだろう。」

 と、自らの髭から杉を、胸毛から檜を、尻毛から柀を、眉毛から樟を生み出し

「杉と樟は船を造るのに使い、檜は宮殿を造るのに使い、柀は人々の棺桶を造るのに使いなさい。
その他、作物の成る種は よく蒔いて育てなさい。」
 と命じたのか。

 スサノオの子供達である三柱の神イタケル、オオヤツヒメ、ツマツヒメは、何故父の言葉を忠実に守り、木々の種を蒔いて廻ったのか。

 これらは全て「私の国は、あなたの国と対抗できる力がある」と告げております。いったい誰がそのことを外国の人に告げる必要があると考えたのか。

 古事記のスサノオは様々な姿を見せる。親の言うことを聞かない末子。高天原の神々が持てあます大暴れもの。異国の地まで足をのばす彷徨人。苦境に落ちた美しい姫を救う英雄。娘が恋人を連れてきたこと自体が気に食わなくて、自分のお眼鏡に適う相手かを試そうとする頑固親父。

 多様性を象徴する神という言葉そのままに、スサノオは語る話によって全く違う姿を見せる。その多様性を象徴する神が

「この国は我が国にあらず」

 と宣言して韓の国を後にする。それは、どのような人心と関わってくるのか?そもそも韓の国は誰が作ったのか? 

 イザナギとイザナミが生んだのは日本という八十島の国。誰が韓の国を生んだのかということについては古事記では語られてはおりません。日本書紀には記されていない。

 けれどスサノオは韓の国に渡った。

 古事記や日本書紀が成立した時代。すでに韓の国は異国だという意識が人々にはあった。

 韓の国という、豊葦原とは違う国があり、そこには自分達とは違う文化を持つ人々が住んでいる。韓の国が、いつ生まれたのか、誰が生んだのかは知らなくても、そこには自分達とは違う人々がいることは知っていた。

そういうことを知る程度には、外国との交流があった。

「この国は、我が国にあらず」

 スサノオは、多様性を示す神。多様性を象徴する神。その神がそう言った。ここに多様性の持つ闇がございます。神は、人心の仮託。多様性を示す神ですら、民族の違うものを受け入れるのは難しいという人心。

 この気持ちは捨てられない。頭が多様性にしようとしても、心が逆らう。多様性を象徴する神でも神の目は持てない。この世界に生まれたものは等しく皆同じ。同じように、この世界に生を得た生きもの。そういう神の目は、スサノオですら持てない。

 祖国を、同胞を、家族を、私達は無意識に贔屓する。どんなに仲が悪くとも、どんなに悪いところを知っていても、それでも私達は贔屓する。

 コンビニに働く外国人が、コンビニで働けるほど優秀な人だと知ってか知らずか私達は下に見てしまう。ああ、こんな時間まで大変だね。この時間帯だと日本人は働きたがらないものね、と下に見てしまう。

 語学に自信がない外国人は、コンビニを働き先に選びません。接客できるほど語学が堪能で、多種多様なコンビニの業務に臨機応変に対応出来る優秀な留学生がアルバイト先に選ぶ。

 けれど、どんなに優秀な人であろうと、「コンビニで働く外国人」というだけで私達は軽く見てしまう。多様性を示す神ですら海を渡った後、こう言います。

「ここは、我がます国ではない」

 行ってはみたけれど住むところではない。文化は進んでいた筈です。何故ならば、スサノオは出雲に戻ってから八岐大蛇に出会っている。八岐大蛇を退治している。

 つまり退治できるだけの技術や力を韓の国で得ていた。自分達とは、異なる文化。進んだ技術。素晴らしいと認めるものがあることは認めていた。

 認めてはいたが、それでもスサノオは己が韓の国の地の者となることは拒んだ。

「この国は我が国にあらず」

 スサノオを海を渡り、出雲に降りる。出雲の地で出会うべき姫と出会う。高志からやってくるものに毎年姉を奪われ続けて姫に。次は己の番だと恐れおののいても、抗う術を持たず泣くことしか出来ない姫に。

 

 出雲は高天原ではございません。けれどスサノオは「ここは我が国にあらず」とは言いませんでした。代わりに言ったのは、この言葉。

「この媛を私にくれるなら、やって来る大蛇を退治してあげよう」

 スサノオを迎えたことで出雲は強くなります。毎年決まった時期になるとやって来る敵を、高志から来る大蛇を切り刻むことが出来るほど出雲は強くなる。

 スサノオが屠った大蛇から生まれた一振りの剣。三種の神器の一つとして、スサノオにつながるものを、アマテラスの末裔を守り続けた剣。

 この剣があることで何故スサノオが直接出雲に降りず、宗像三女神に導かれて海を渡ったのかが分かります。

 スサノオは自分の欲しい知識と技術の為に海を渡った。豊蘆原にないものを、豊蘆原に持ち帰る為に海を渡った。

 スサノオが何を求めたのかは出雲を見れば分かる。今でも出雲は製鉄の地。優れた刃物を生み出す地。鉄工芸で名高い地。

 製鉄、治金、鍛冶。全ての金属産業に従事する人達は全国から出雲を目指す。出雲の地で自分達を守護する神に加護を祈る。

 スサノオが欲したのは、当時の日本になかった金属技術。日本よりも数段進んだ技術を調査する為にスサノオは海を渡った。

 では、それはスサノオが決めたことでしょうか?スサノオが決めたことであるならば、

国の中の民に向けて書かれた古事記には記されず、国の外の民に向けて書かれた日本書記には何故記されているのでしょうか。

 アマテラスは何も知りません。スサノオの追放も。追放されたスサノオが得難いものを得る為に海を渡ったことも。

 では、誰が知っている?誰がスサノオの追放を決めた?誰がスサノオに教えた?優れた技術のある場所を。日本よりも先に進んだ知識のあるところを。

 アマテラスが天の岩戸に籠った時、惑い騒めく神々にそれぞれがやるべき役目を振り分け、やるべきことの段取りをつけたのは誰でしょう?

 役割を振ったのは思金の神。鍛冶師の天津麻羅に鉄を作らせ、伊斯許理度売命に八尺鏡を作らせ、玉祖命に八尺瓊勾玉を作らせ、天宇受賣命に舞を舞わせた。

 この時、天津麻羅の他にもう一柱、金属に関わりを持つ神がおります。

 天の岩戸が少しだけ開いた時に、アマテラスの前に八尺鏡を差し出した天児屋命。この当時、鏡は金属で出来ている。金属の質の良しあしは鏡の質にも影響する。

 アマテラスが岩戸に隠れた時、天児屋命は岩戸の前で祝詞を唱えた神。つまり、神事を祭祀を司る神。

 神社で神の形代として鏡が祀られるのはよくあること。神事の神であれば金属の質の違いにも詳しくなる。

 異国との争いがあった時、敵が引いても死体は残る。身に着けていた武具も剣も残る。金属に精通しているものが見れば、どのような質のものであるかは理解できる。

 武器の質の違いを理解できれば、どこにその違いがあるのかを知る必要があると考えるのは当然のこと。

 いつの時代も軍事機密は国家機密。どの国も自国の守りの要が漏れないように血を流すことを躊躇わずに守ろうといたします。

 知りたいと思う方は、どんな手段を使ってでも情報を得ようとする。

 天児屋命は高天原の持て余しものに目をつけた。高貴な乱暴者に目をつけた。どんな危険な役目でもやり遂げるものに目をつけた。

 天児屋命の人心掌握の一つにスサノオの渡韓があった。高天原を出た後、出雲ではなく韓へと渡るようにと決めていたのはスサノオではございません。

 スサノオという駒をどう動かすか、高天原の中で謀略を立てていたものがいる。スサノオという駒を使って、どう自分達を守るか策略を立てていたものがいる。

 スサノオに高天原は合わなかった。どう過ごしても波風を立てずにはいられない場所でした。

 けれど、そこに住まうもの達が自らの同胞であることを疑ったりはしませんでした。自分と相性が悪いとはいえ、高天原に住まうもの達は身内であり、波の向こうから自分達を攻める為にやって来るもの、海の向こうに住まうもの達とは異なります。

 自分達と敵対するものが自分達より優れている物を持っていることはスサノオは気に入りませんでした。

 よそ者が自分達よりも強い、自分達より優れた物を持っていることが気に入らないというスサノオの気持ちを天児屋命を利用しました。

 海を渡り、危険を冒し、韓の国の秘密を盗めと利用した。同胞を守る為に諜者になれと利用した。

 天児屋命の策略を記す書物はございません。そのようなことがあったという証拠はありません。ありませんが、ただ一つの事実がございます。

 素戔嗚を祀る神社は全国にある。天児屋命は素戔嗚が全国にはびこっていくことを許した。祭祀の神が素戔嗚を祀る神社が広がるのを許してきた。

 全国のお祭りを掌握する一族が素戔嗚の祭りを止めなかった。

 全国の祭りを掌握する一族。天児屋命を祖神とする一族。代々、神事、祭祀を世襲する中臣氏。すなわち藤原一族が、そのことを認めてきた。

 出雲族と天孫族は、今でも仲の良い一族ではございません。出雲大社の宮司家と皇族の姫との結婚が報じられた時、驚きをもって伝えられた程度には今でも珍しい組み合わせだ。

 身分的には釣り合っても、結びつくことを互いに避けたがる組み合わせがございます。公家の養子ではなく、島津家からの輿入れという形で徳川将軍家の正室となったのは天璋院篤姫のみ。互いに敬意を払いながらも、互いを仮想敵としていたのは周知の事実。

 国譲りという美しい形で伝えられる侵略。侵略に備えて送り込まれる内通者。誰がスサノオを天津神から国津神にしたのでしょうか?個人の思惑を超えて様々な思惑が交差する。

 いつのまにか当たり前の光景となったコンビニで働く外国人。その光景は私達が望んだことでしょうか?誰が海外から働き手を呼びたいと言ったのか?

多様性のある国にしたいと経済界は言い立てる。

 安い労働力を求めて。日本人が働きたくないところに働く人達を求めて経済界が言い立てる。日本人が働きたくなる環境に変えなければいけないとは口にはしない。

 今の環境を変えないまま、自分達の利益は減らそうとしないまま、日本人が働きたくないところに頭のいい外国人を投入する為に多様性を言い立てる。

 日本だけでなく世界各地で見られた光景。やって来るのは労働力ではなく人間だということにも気づかずに。

 気づいてはいても、それで生じる苦労や不利益は人間を受け入れる側に押しつけて、自分にとって都合の悪いことは存在しないかのように目隠しをして多様性を言い立てる。

 神は人心の仮託。スサノオの在り方も人心の仮託。

  多様性を認めて、多様性を受け入れると色々なところで綻びが生まれる。多様性が抱える闇。多様性を選択することで生まれる闇。

 闇を見ないものは闇に飲み込まれる。闇を認め、己が生み出した闇と対峙する勇気を持つ者だけが闇と渡り合うことができる。

 多様性を認めるということの中には、己が生み出した闇があることを認識するということも含まれる。

 三貴子の中で、素戔嗚には闇がある。素戔嗚だけには闇がある。太陽である天照も、月である月夜見も、共に持たない闇がある。

 光があるところには闇がある。光が輝けば輝くほど、闇もまた深くなるのが道理。

 多様性を象徴する神であるスサノオは、その時々で姿を変える。その様々なスサノオの姿の一つに大魔王としてのスサノオもある。

 どんなものにも闇がある。多様性には闇がある。光り輝く日神、月神には持たせてはいけない闇がある。多様性とは、とても暗いものを内在している社会。

 みんな同じには闇がない。みんな同じには影がない。けれど、それは望ましいことでしょうか。

 強い武器が欲しい。攻めてくるよそ者には負けたくないという気持ちを利用してスサノオを諜者に仕上げる陰謀を立てたのは天児屋命。

 スサノオが盗んだ鉄鋼という技術は、たたら製鉄という形で今も奥出雲に残る。

今に至るまで日本の経済を支えているのは鉄。日本の根幹は今ですら鉄。国を守る為に大事なものをスサノオは危険を犯して手に入れた。

 なすすべもなく毎年娘を失い続けることしか、嘆き続けることしか出来なかった強大な敵を、八岐大蛇を倒す力を手に入れたと草薙の剣を献上することで、スサノオはアマテラスに告げた。

 清く輝く天照は何も知らない。だが天照の寵臣として常に天照の側に侍る天児屋命には、その意味が分かる。

 全ての闇を、高天原を守る為なら手段を選ばない闇を、全てスサノオに背負ってもらった天児屋命には分かる。

 多様性の神は負うものが多い。多様性は大きな闇を抱えることに他ならない。守る為なら姿も変える。スーパーマンから頑固親父まで。その時々の人々が望む姿に形を変える。

 多様性の神は、守りたいものを守る為なら手段を選ばない。

 多様性を守る為に閉鎖的になり、閉鎖的になってにっちもさっちもいかなくなると、また多様性になる。日本の歴史は繰り返す。

 繰り返しながら変わっていく。使っている道具が変われば人心も変わる。スーパースターの在り方も変わる。

 SNSという神が生まれ、スーパースターの在り方が人を束ねようとするのではなく、自分のやりたいことをして拍手喝采されることに重きを置くようになった。

 鉄鋼の時代も遠からず無くなる。車両の時代で無くなったら鉄もいらなくなる。多様性の行きつく先が今までとは異なってくる。

 全国に広がる素戔嗚の神社。素戔嗚のどの面を信奉しているのかによって名前が異なり、そのネットワークも違う。

  違わないのは、どの面の素戔嗚を信奉していようと、素戔嗚を祀る神社のネットワークは大組織になるということだけ。

 男性は組織を作りたがる。非常の男性性の強い神、男性神としての性格が強い素戔嗚を祀る神社もまた大組織になるのは自明の理。

 関東以北の氷川神社、中部地方は津島神社が総社、関西地方の八坂神社。それぞれ違うネットワークを持つ素戔嗚を祀る神社。

 八坂神社は昔は祇園社と呼ばれた。神仏が分離される以前。神仏習合時代には、素戔嗚は祇園精舎の守護神である牛頭大王と同一視された。

 祇園精舎に似ているとされたのが八坂神社が祇園社と呼ばれた所以。牛頭大王が支配している地域で釈迦牟尼仏は亡くなったとされる。

 釈迦牟尼が亡くなった後におわす世界。この世の次にある世界。釈迦牟尼が導く来世委があることを信じている人達が信奉する社。末法の時代を生きぬく為の神社が八坂系。

 牛頭天王は統制の取れた暴れん坊。神仏習合時代には帝釈天と同一視された。仏教の守護神である帝釈天は、元々はヒンドゥー教の武神インドラ神。

 異教の神を自分達の教えを守護する守護神として取り込むことはよくあること。雷を象徴する強力無比な軍神は、強いものだけを残す為に疫病を流行らせ容赦なく弱いものを殺す。その苛烈な選択から逃れる為に人々は御霊会を行って神を和ませようとしました。

 私は貴方様を信じ敬うものですから、どうぞ、その選択からお外しください。弱き私達を強き貴方様の力でお守りください、と加護を祈った。これが今へと続く祇園祭りとなります。

 津島神社は産業神としての素戔嗚を祀る神社。

 諜者として海を渡り、新しい知識と技術を盗み、学びとり。誰も手向かうことの出来なかった八岐大蛇を倒すことが出来るほどの力を得た。

 鉄鋼、産業。新しいものをどんどん取り入れ、新しいものをどんどん生み出す産業力を信じたい人達のネットワークが津島系。

 新しいものを生み出すには、常に新しい情報が大事。開かれたネットワーク、対外的な多様性を認めてる人達のネットワークが津島系。

 氷川神社は関東平野、特に荒川流域では多く見られるが箱根以西ではマジョリティ。徳川家康の江戸入府以前、関東平野は今私達が思い浮かべる姿とは異なっておりました。

 広大な土地改良工事を行い、荒地を東日本随一の大都市に仕立てたことが家康が東照権現と称される理由の一つ。

 広大な荒地を平定するには統制の取れた軍団が、軍事力ネットワークが必要。日本最初の武家政権が東国武士団の後押しで生まれたのは故なきことではございません。

 東国に生きる人々は生きる為に統制の取れた組織を必要とした。統制の取れた軍事力を有する人達が加護を祈る為に祀った神社が氷川系。

 素戔嗚のどこを信じるかでネットワークが異なり、どの素戔嗚を信じているかで仲違いする。奉じる神は同じ素戔嗚でも、異なる面を信じている同士は仲が悪い。

 こういうところにも素戔嗚の男性神としての面が強く現れております。「うちが一番」ではないと男性は我慢できない。

 今でも上京と下京は相容れない。葵祭と祇園祭を共に喜ぶのは観光客くらい。葵祭を喜ぶ人々にとっては祇園祭は、よその祭り。祇園祭を喜ぶ人々にとっては葵祭は関係ないこと。

 祇園系の祭りの地である川越と氷川系の祭りの地である大宮は仲が良くない。同じ県に属してはいるけれど、あそこは自分とは無関係の土地だと思っている。

 どの素戔嗚を信じているかで、信じているもの達は仲違いする。お祭りが違う。神社が違う。祀りごとが違う。信じている素戔嗚が違う。

 天王社は港か川の近く。漁師達が信じている素戔嗚。そして全国で喧嘩祭りで名高いところは、大抵は天王社。

 どちらの天王が強いのか。どちらの素戔嗚が強いのか。同じ素戔嗚を、同じ天王を祀っている筈なのに、それでも人は喧嘩祭りで争う。

 負けるのが嫌いな人達は天王社を祀る。

「今年はうちが一番!」

 多様性の中のどこを自分の拠り所にするのか。世の中の喧嘩祭りは素戔嗚のどこを取るかの違いによる喧嘩。

 山鉾は町内の喧嘩の成れの果て。「一番は、うちの町内!」それが決まらないと男性は落ち着かない。山鉾に素戔嗚が訪れることによって人々を収めさせる。

 祇園祭は静かな祭りだと思っているのはよそさんだけ。氏子だけが参加できる祇園祭のお神輿の激しさは、神田明神のお神輿の激しさと変わらない。

 素戔嗚を、多様性を、神と認めている人達は戦うのが好き。多様性を守る為には死を厭わない。多様性は非常に暗い一面を持っている。

 私達は譲ることが出来ない。自分の選んだものの為には戦わずにはいられない。

 それでも我々は難しい方を、闇を抱える方を選んだ。自分達が多様性の闇を抱えていることを理解しながら二千年きた。

 闇を含んで良しとする。それを見据えないと時代はどんどん進んでいく。そこを認めないと闇に進んでいく。

 天下の為政者は、素戔嗚の闇を使って天下を治めてきた。スーパースターを選んでは自分達を守ってきた。

 アマテラスは天の岩戸に籠った後、誰ともつき合わなくなりました。自分が至高の存在であると悟った天照は、己の死をもって自分に抗議した機織り女のような存在が生まれないように、己の至高が侵されない為に、自らを至高の存在に上げていく必要があることを理解しました。

 限られた寵臣の前にのみ姿を現し、自分の言葉としてその者たちに言葉を伝えさせる。

隠されていることで、より素晴らしさが際立つ。見えないことで、より有難みが増す。

 至高の存在は汚れない。至高の存在は傷つかない。

 法は、その時の人心によって形を変えていく。

 多様性には闇がある。

 だからこそ、至高の存在は必要となる。

 多様性は闇を持っている。そこを認めないと世界は闇に進んでいく。

 己とは異なるものを認めないという闇に。

 同じ一つのものを見ることしか認めないという闇に。

 同じ一つの方向に進むことしか許されないという闇に。

 

 世界中が多様性を否定すれば戦争になる。

 多様性を認めたら、今度は闇を引き連れてくる。

 長い間、死は私達の隣にあるものでした。死から逃れる為に素戔嗚の暗い面も受け入れてきた。どんな手段を使っても自分達を守ってくれる神に、たとえ死から逃れることが叶わなくても、来世という次の世界で自分達を守ってくれる加護を祈ってきた。

 死なないで生きていくことの明るい面だけを見てきた私達は、死なないで生きていくことの闇を見ていない。

 今でも世界には死が生の隣にある国は珍しくはありません。けれど日本ではもう四半世紀以上も前に人の死を見たことがない子供達が「人が死ぬ」というところを見る為に一人暮らしの老人の生活を観察する物語が映画となった。

 その物語の元となった小説は、海外十数か国で翻訳出版され、アメリカでその年出版された最も優れた子供向けの本として賞を取った。

 先進国では、とうの昔に死が隣りにあるものではなくなっている。そこにあるのに、自分には縁なきものと考えたがることが普通となっている。

 死なない世界になった世界に人心が追いついていかない。このことが持っている闇を見ていないことの怖さ。

 この闇に対処する方法を私達は持っていない。このような闇が生まれる幸運を過去の歴史にはない。

 歴史では解決できないことが起こる時代。生きていくことの闇を見つめなければ容易く闇に飲み込まれる時代。

 人には、自分とは異なるものを攻撃したいという性がございます。それもまた人の性。ゆえに多様性を認められるのは、至高があるという条件がある。

「そこまでしたら、お天道さまに顔向けできない」

 多様性は、制御する至高がないと闇が深くなる。至高を守る為に法律がある。至高を守る為に暗躍する存在もある。

 大ヒットした「鬼滅の刃」では、全ての悲劇の元凶になった鬼と、鬼に立ちむかう為に討伐組織を作り、組織の力を全て結集して鬼を滅ぼそうとする者はどちらも同じ一族でした。

 鬼も藤原。鬼を倒すのも藤原。鬼という考え方もまた藤原。

 多様性には闇があることを意識していないと、初めて闇を見た時に、それを鬼だと思ってしまう。鬼にも一部の理があることを理解していないと対応を誤る。

 多様性の闇がどこまで広がるのかは分かりません。至高というものを欲しないものが多くなった。至高というものを必要としないものが多くなった。

 代わりに、分かりやすい目に見えるご利益を求める。

 至高が無くなった先の多様性は混沌しかない。

 素戔嗚の祭りは、何故、喧嘩祭りなのか。何故、全力で争うことが続けれられてきたのか。素戔嗚の祭りは人間に多様性を認めさせる為の仕組み。多様性を利用する為の祭りでした。

 全てのものに配慮する。全てのものを満足させる。そのようなものは、この世界にはございません。あるとしたら、それは新たな形の全体主義。

 人の考えが異なる以上、人の価値観が異なる以上、必ず不満を持つ者がいる。必ず不利益を被る者がいる。

 その者達を納得させる為に使われたのは、祭りという名の方法論。

「今年は自分達が勝った。だからお前たちが譲れ」

 また勝者の余裕が自分達が気に入らないものへの当たりをほんの少し弱くする。

「どうせ、あいつらは俺達には勝てない。だから少しぐらいは譲ってやってもいいんじゃないか」

 多様性には、少しの我満も含まれます。その我慢を引き出す為の祭りという名の方法論。一年限りの優位性。一年限りの劣位性。リターンマッチの機会は残されている。

 この二年、多様性の闇を鎮める方法論を私達は自分達で捨てている。祭りを、祭りに類することを綺麗ごとで否定している。

 至高のものは為政者であってはいけない。為政者であると歪みが起きる。政治が見捨てても、経済が見捨てても、いと高きお方は見捨てない。

 あのような行いをするものは、いつかお天道さまに駆逐されると信じていられる至高があった。今は、それが見いだせない。

 至高の存在を持たず、闇を鎮める祭りを封じられた者が溢れる今、素戔嗚はいったいどのような闇を見せるのでしょうか。

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