第22回 天忍穂耳命

そうだとばかり思っていると、実は違っていたということがたまに起こります。

寒くなってくると少女が感じた寒さが実感をもって語られるマッチ売りの少女ですが、あの話をクリスマスの物語だと思っている人は少なくありません。

少女がマッチをすると現れるクリスマスツリー。それが印象深い為に、クリスマスの日に起こった話だと思ってしまうのでしょうが「雪の降る大変寒い日」という言葉とともに「一年の一番おしまいの夜、つまり大晦日の晩」という言葉

から語られています。

人々が笑顔を浮かべてうずくまる少女の亡骸を見つけたのは新年の朝。大好きな優しいおばあさんと一緒に新しい年の喜びを祝ったのは新年の最初の一日の朝となります。

あの話を happy end と見るか、unhappy end と見るかは読む人によって異なります。このようにアンデルセンは物語の解釈を読む人に委ねる作家でした。

このアンデルセンが書いた物語の一つに死神を助けた男の話がございます。死神は自分を助けた男に礼としてこう告げます。

「おまえが死を迎える前に私を使いを出そう。私からの使いが来ない限りおまえは死なない」

それから時が過ぎ、男は病に倒れます。けれど男は何も心配していませんでした。死神からの使いは来ていない。だから自分は死なない。

男の病は、どんどん重くなります。けれど使いはやってこないので、男は自分は助かるものと思い続けます。

ところが、そんな男の許に死神が姿を現し告げます。

「さあ、いいだろう。自分と一緒に行こう」

「使いは来なかった!あなたは僕が死ぬ前に使いをよこすと言ったけど、使いは来なかった!」

男が驚いて抗議すると死神は言います。

「何を言うんだ。私は何度もお前に使いをやった。最初に寒気が来ただろう。熱も来た。体の節々が痛んだ筈だ。私は何度もおまえに使いをやったのに、おまえは私からの使いが来たことに気づこうとしなかった」

男は絶句し、死神が言った言葉を理解すると諦めた目で死神が差し出した手を取りました。

まあ、このようなお話です。さように神の言葉を人が理解することは難しい。ロシア語通訳者であった作家の米原万里はギリシャ神話に出てくるデルフィの巫女達を通訳のようだと記しました。

よく誤解がありますが、通訳というのは一つの言語を別の言語に置き換えるという単純な仕事ではございません。

一つの文化が持つ言葉の意味を、まったく別の文化を持つ人間が正しく理解できるように変換するという異文化間の橋渡しが必要となる仕事です。

荻原規子の「空色勾玉」が英訳された時、彼女の作品の翻訳者は大層苦労されたそうで

「『祭り』を 『festival』と訳すと、『祭り』の持つ特別な日の感じ、心浮きたつ感じが出ない」

と悩まれたことを語っておられました。人と人との間でさえもこれだけ悩む。まして神と人との間なら悩まない方が不思議な話。

 12 月の講座の時、宗匠が新嘗祭の時に出た来年の卦について語られました。

「国家安泰、我が家はそなえよ」

 卦というものは、現われたものを受け取った人が解説してはいけないことになっているそうです。卦は、その言葉を受け取った人がどのように受け取るのかによって変わってしまうもの。

 なので、通常は現れた卦をただ語るのみ。示された言葉をそのまま聞きてに受けていただくだけなのですが

「ご参考までに、ご参考までに」と繰り返されたうえで、「あくまで『こういうこともあるのではないか?』」という可能性の一つとしてご自身の解釈を話されました。

「『国家安泰』というのは『平和である』ということではない。『みんなが楽しい』というわけではない。

『国がつつがなくある』ということは、それだけ我々は一生懸命やらなければならない、ということに他ならない。

 反対から言うと『国家安泰』というのは、『我が国のことをよく考える』ということ。たとえば、税金が上る。我々は苦しいかもしれないけれど国は安泰になる。

 国家安泰というのは良いことではあるけれど、平和、もしくは幸せであることとは別問題。

 ただ、今までもこうやってきたのだから、『常のことを忘れるな』と神様がおっしゃってくれたのだな、と『私』は思いました」

 個人は国家の構成要素の一つですが、個人の幸せが国家の幸せと重なるばかりとは限りません。明治に起こった大逆事件。

明科事件をきっかけに連座して逮捕された人々が天皇暗殺とは無関係であったということは今日ではいくつもの本に記される。

 彼らは天皇暗殺など考えたこともなかった。ただ当時の為政者達にとって気に入らない思想の持ち主だったというだけのこと。

国家は必要とあれば冤罪だと分かっているものを死に追いやる。それが国家。国の安泰の為なら非情にもなる。

「その後も『そなえよ』だけど‥‥」

 続けて、宗匠は三つの文字を使って、この言葉を語られました。私達の国は表音文字と表意文字、どちらも使う国ですから「そなえよ」という言葉にも複数の字を当てることが出来ます。

 準備の備で備える。差し上げることだけを考えて、見返りを考えない供える。素が萎える、体の芯が萎える、素なえる。

「うちの婆さんは105歳で亡くなったけど、50歳から死に支度を始めた。『いつ死んでもいいんだ』で死の三ヶ月前まで普通にご飯を食べていた。僕は50年間死に支度を見せられた。人間というものは、どんな風に死んでいくのかをちゃんと見せてもらった。

これも言わば『備える』

 これから東南海地震が、東京直下型地震が来る。これだって『備える』。起きることを止めることは出来ない。私達が死なないようにしてたって人は必ず死ぬ。

 地震だって台風だって何だって、科学が発達してもまだまだ止めることは無理だ。むしろ災害は毎年毎年酷くなっている。これについても『備えよ』なんだと思うし、何かしたら色んなことに備えていく。

心に備えがあるというのは何にでも通用するからね。地震の備えをしておけば死ぬことの備えもできる」

 次に宗匠は、それとは別の心持ちの「そなえる」について語られました。

「供物の供と書いて『供える』。たとえばお友達にお中元、お歳暮をあげる。そういうものも『供える』なんだと思う。神様にあげるだけが『供える』ということではない。『供える』というのは見返りを求めない。

 神様に供えたら、お米をあげたら、その翌年は豊作を約束するなんてことは絶対あり得ない。だけど気持ちをのせること。人がともに気持ちを乗せて差し出すことを『供える』

 『供える』というのは、もう差し上げた段階で相手のもの」

 「〜してあげたのに」という言葉は、わりと耳にする機会の多い言葉です。今は親でさえ自分の気に入らない進路を選んだ子供に「養育費を返せ」と口にするものがいる時代。

 貴方に差し上げたい。貴方が受け取ってくれてるだけで嬉しい。それだけで自分が満たされる気持ち。東日本震災が報じられた時、戦禍と旱魃の続くアフガニスタンからも日本へ支援金が届きました。

貴方の今の状態は私は心が痛む。これが貴方の助けになると嬉しい。その気持ちと一緒に届けられたお金。これも『供える』

 最後の三つ目は、神様の苦笑が見えるような解釈を宗匠は話されました。

「素なえる。素が萎える。呆然自失、もう何も手がつかないほど、何かがっくりする。こういう時は、体の芯から力が抜ける。素が萎える。

 これは期待が大きいからがっくりする。あまり期待しなければがっくりなんてしない。けれど人は期待する生き物。希望する生き物。

これについて『我が家は素萎えよ』だから、あんまり期待しないで素を萎えさせよ。あんまりガチガチでいるな。少し柔軟でいたらどうだ。あんまり期待しないで素を萎えさせろ。頑固なところを少し柔らかくしろ。素を萎えさせることによって少し柔軟になったらいい」

「この三つくらいが頭に浮かんだな。悪いけど『参考』だから。『我が家はそなえよ』なんだから『うちだ、うちだ』というのではなくて、少し周りにも目を向けたらどうだ、と神様がおっしゃってくださったのではないかとも思う。

 そう私は受け取った。皆さんはどのように受け取るのかは分からない。あなた達の知っている「そなえる」という言葉があったら私にも教えてください」

 そのように宗匠は新嘗祭の時に現れた卦について語られました。現れた卦から浮かび上がる三つの人の心。

今まで宗匠が語られた古事記の話も人心、人の心についてのお話でした。

 先回までの講座で語られたのは人間力。イザナギがイザナミとの戦いに敗れ、ほうほうのていで出雲から逃げ出し、無事落ち延びた後、このままではいけないと王権を賭けて三柱の貴い神を生んだ。

 三柱の神を生むことによって王朝を立て直そうとした。三柱の神がもたらした力。傾いた王朝を立て直し、二千年続く日本という国を保ってきた力。

 それが人間力。その一番目が天照。次が月讀。3番目が素戔嗚。この三柱の神は人心を掌握する為の、人心を纏める為の、人心を守る為の人間力の表れ。

 この三柱の中で、天照と月讀を守る為に割りを喰っているのが素戔嗚だけど、素戔嗚はスター性のあるスーパーマン。スター性があって、力があってclever。頭がいい。千変万化するあの形。

 誰もが自分の立場で応対できるような色んな面を持っている。このことから多様性という言葉が紡ぎだされる。我々は二千年の間、多様性の神に人心を掌握されてきた。

 ただ残念なことに我々は二千年かけても、何回も「多様性のある」を導き出そうとトライをしても、未だ成功した例がない。

 日本だけではない。国内に多民族を抱える中国も、「多様性の国」を標榜しているアメリカやイギリスもこの件については成功していない。成功している国など世界中どこにもない。どの国も成功していない。

 多様性とは「あらゆるものについて相手を視認できる」ということ。世界中の人達が多様性という言葉について突き進んでいってダイバーシティに向かっていると言われがちだが本当にそうだろうか?

多様性について「欧米の価値観に足並みを揃えるのだけを多様性と評してないのか?」という批判がある。

「海外の政治的妥当性を受け入れれば、日本の漫画にも白人黒人黄色人種◯%ずつ出演させ、性自認の違う方々も同じように出せってことになりかねませんが。 ワタシはそのような作品を描きたいとは思いませんし、そんな漫画でも読んでくださる方だけで十分です。」

 とツイートした漫画家に

「超・前時代的な価値観のみがまかり通るガラパゴスマーケットで存分にお仕事なされば宜しいのではないでしょうか。 まあ、それで食えていない故の斯様な無様なご発言なのでしょうが。」

 と噛みつく人がいる時代。

 噛みついた相手が50年以上続くヒットメーカーで、現在の連載作品でも多様な人種出まくりな人でも「自分が認める政治的な正しさ」に従わなければ「食べていけないが故の言葉」と決めつけ、攻撃し排斥するのが当然と考える人のいる時代。

「それもありだね」と受け入れられる多様性を持たず、「多様性」という原理主義を絶対と考える人がいる時代。

 マイノリティの声が大きくなり過ぎた結果、多様性を塞いでいる。原理主義者は他の考えに聞く耳を持たない。頑固親父も聞く耳をもたない。

娘が恋人を連れてきたことが気に食わず、娘の恋人に無理難題を言いつけた素戔嗚。

 聞く耳は持たなかったが認めていた。認識していた。まんまと自分を出しぬき娘を盗んでいった男に祝福を与えた。原理主義者は排斥する。多様性を標榜すればするほど闇が深くなる。

 太平とは多様性を認めないから太平。皆が同じ方向を向いていたら太平。でも同じ方向ではなく、自分は後を向きたい。そう言い出したものに「それもありだね」と認めるのが多様性だった筈なのに、現実ではそうではない。

 イザナギは二千年前に多様性を考えることが人心を掌握することだと分かっていた。我々は二千年間、「多様性のある」に挑戦し失敗してきた。二千年の繰り返し。

 我々は社会を上手くまわす為、スーパースターである素戔嗚を貴神にあげることによって余力を作ってきた。素戔嗚はあそび。

 遊、雅、武、侘、寂、荒 あそび、みやび、たけび、わび、さび、すさび 文化の六形態。

これを何回も繰り返している。荒は「すさび」の他に「あそび」とも読む。荒は遊に戻ってくる。

荒が遊となり、ごちゃ混ぜになると神様が現れる。そしてまた遊から始まる。

日本人が繰り返してきた文化事象。

見立ての文化の侘び。欠けたってっていいじゃないかの寂。生きていればいいじゃないかの荒び。荒びの中にもキラリと光るものがあり、また遊びに戻る。

 この形態がぐるぐる回っていって、この形態全てを受け入れられるという不思議な民族が我々。二千年、イザナギが人心を掌握していて時に素戔嗚はこれを構築していた。

 色々な面がある。神様的なところもあれば、凄く厳しいところもある。猛々しいところもある。だけどちょっとお茶目でブロークンで破茶滅茶。破茶滅茶をやっているんだけど結果的には頑固親父のようになって神に戻ってゆく。

 色々な面を見せることによって素戔嗚は多様性を植え付けてきた。

 素戔嗚が人々に残したものはもう一つある。皆忘れがちではあるが、高天原から天下った瓊瓊杵尊は天照の孫であると同時に素戔嗚の孫でもある。

 天照と素戔嗚が誓いを交わして生まれた八柱の神。天照が素戔嗚の持っていた十拳剣の剣を噛み砕いて吹き出してた息から生まれた三柱の女神。

素戔嗚が天照が身につけていた八坂瓊之五百箇御統を噛み砕いて吹き出した息から五柱の男神。どちらの神々も天照が己が子供とした神々だが、素戔嗚が三女神。天照が生んだ五男神。それは、どんな人心を表しているのか。

この五柱の神の長男、天忍穂耳命が瓊瓊杵尊の父となる。その神の母と息子の名を知らないものはいない。けれど、その間に立った天忍穂耳命が何をした神なのかを分かる人は少ない。

 名前として出てきたのは生まれた時と瓊瓊杵尊が天下る時。人界を治めるようにと、母、天照の命を受けた時、天忍穂耳はそれを断わり、代わりに自分の息子を天下らせるように母に進言した。

 心に刄をつけて忍と呼ぶ。心に刃を持つものでないと忍ぶことはできない。

 江戸時代は、偃武の時代であるという。応仁の乱以降150年以上続いた戦いの時代はここで終わり、260年余りという世界史の中でも珍しい戦いのない平らかな時代であるからだ。

 日本人が戦いを好まない穏やかな民族だと思っている人が多いのは、この江戸時代の影響だ。本来、日本人は戦い好き。

 でなければ何故世代を超えて150年以上も戦い続ける?

 優秀な傭兵として東インド会社が喜んで雇う?

 ユーラシア大陸を横断する大元帝国の侵攻を退けた数少ない国の一つとなる?

 女武者といえば巴御前が有名だが、戦国期までは自ら戦いに出る女大名など何人もいる。男も女もやるぞ、と決めたらとことんやる人達。本来は戦いをしたい人達が平和を築いた時代。

 こういう時代を構築するには、とても精妙に人を戦わせない仕組みを作り上げる必要がある。江戸幕府を開いたのは徳川家康。けれど彼は終生戦った人だった。

 自分が戦って得たものを、家康が託したのは秀忠。徳川秀忠には地味で凡庸な恐妻家というイメージがある、娘、和子の後水尾天皇への入内が間近に迫った時、秀忠は妻一人を守る男、というイメージをとことん利用した。

 自分は正室以外は持たないと後水尾天皇が寵愛の女官との間に子供がいたことを責め立てた。

 そのような風紀の乱れた場所に娘を入内させることは出来ないと、乱れを放置したことを咎め、天皇の側近の出仕を停止させた。政の為なら恐妻家というイメージも利用する。

 秀忠は凡庸な平和主義ではない。とても狡知に長けていた。凄く戦略的で、緻密であざとい人。こういう人でないと偃武の時代は築けない。二代目とは、三代目にちゃんと時代を繋いでいける人。

 徳川家康は切腹させられた長男のことを終生惜しんだ。聡明さゆえに殺された兄を見ていた弟は聡明さを隠しておくことの大切さを学んだ。

 武家諸法度、禁中並公家諸法度の制定に家康と共に努めたのは秀忠。参勤交代の制度に従わないものは親族であろうと処罰したのは秀忠。

 こういうことをしても二代目は凡庸で中継ぎというイメージが強い。私達もそう教わる。それは本人がそう教えろと伝えたから。

 天忍穂耳は、それに似ている。人心は二代目に期待しない。でも二代目は冷酷でないとやっていけない。表に出ては駄目。スーパースターを輝かせる犠牲。犠牲という名の演出が出来る人。忍べる人。

 忍ぶというのは強くなければできない。しのぶ。死を延ばさせる。死を超越する強さ。これを持っているから強い。忍ぶというと健気なイメージが強い。

 健気で忍んでいるやつほど怖いものがない。強い気持ちがないと忍べない。これが必要だと天照は思った。なぜ、そう思ったのか。それがよく分かる例が鎌倉幕府にある。

 源氏の二代目は忍べなかった。父と同じではないのに、父と同じだけの力を欲し、重臣達に見限られ自滅した。鎌倉幕府が早々に滅びなかったのは別のところに忍べる二代目がいたからだ。

 北条義時は地味な人だった。才気活発な兄姉に囲まれた弟。源頼朝に旗揚げ時代からつき従っていたというのに平家物語に義時の活躍を記す逸話はない。

 承久の乱の後鳥羽天皇から義時追討の院宣を発せられ、朝敵となった時も表に立つことはしなかった。

 後鳥羽上皇の挙兵に動揺する投獄武士団に鎌倉創設以来の頼朝の恩顧を訴え、檄を飛ばしたのは姉政子。義時はあくまで姉を補佐するプロデューサーに徹した。

 国が不安定な創世期、まだまだ人心が安定していない時、凄く強くて実行力があって表に出ない人が必要となる。瓊瓊杵尊は天照の一族で生まれた時から王権を知っている。

 国を立て直す為にイザナギが生み出した天照とは違う。生まれながらにして王族である三代目に、確かな王権を渡す為には、強くて、恐怖で実行力があって、表に出ない人が必要。

 これが天忍穂耳、いつの世にもいつの時代にもそういう人が必要となる。天忍穂耳が二代目を継いでくれたおかげで、この国は二千年続いた。

 江戸時代を偃武の時代にしたのは家康ではなく二代目の秀忠。徳川秀忠の妻、お江は知っていた。長男を守る為に夫秀忠がどれほど冷酷になれるかを。夫の冷酷さから目を逸らす為にお江は次男を溺愛した。

 伯父、織田信長よりも。姉婿、豊臣秀吉よりも。舅、徳川家康よりも、夫が残酷になれる人だと知っていた。その冷酷さで秀忠は戦いのない時代を構築した。

どうすれば徳川家が守れるか、人心が掌握できるかを歴史が彼に教えていた。

 天照が誓いによって生んだ神は全て男神。全てに役割があって、それなのに皆その名を知らない。人心にはどうしても必要な残酷さや狡知や軍事力、産業力がこの五柱の神が表している。この五柱の子孫が色々なものになっていく。

 天照が子を生んだのは、この誓いの時ただ一度。このただ一度に生んだ五柱の神にはそれぞれの役割を担う一族の祖となり、各々の役目を全うすることによって二千年続く人心を掌握した。

 これらの神々は全て今の日本人に役立つ産業や風俗、習俗の素になっていく。

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