日本人というのは、わりあい時に支配されやすい性格で、12月24日まではクリスマス。
それを過ぎたらガラッと切り替えてお正月を迎える準備に走り出し、大晦日までは賑やかに慌ただしく過ごしたかと思うと、除夜の鐘を境に静かに新しい年を迎える。
その静かなお正月気分も鏡開きを迎えるまでで、それを過ぎると今度は節分とバレンタインがやって来る。
このバレンタイン、日本と外国では意味合いが異なりまして。
静かに家族と過ごす聖なる日がクリスマスならバレンタインは賑やかに恋人と過ごす日。
イタリアなどでは男性が女性を喜ばす為にプレゼントを贈るのが通例ですが、日本では何故か女性が男性に愛の印としてチョコレートを贈る日となっております。
ご存じの方も多いように、これはチョコレート会社の戦略ですね。売り上げが落ちる2月になんとか商品を売りたいメーカーが
「外国にはバレンタインという恋人や家族、大切な人にプレゼントを贈る習わしがある。これ販促に使える!」
と利用したのが日本のバレンタインの始まりとされておりますが、ではいったいどこが最初にそれを始めたのかというと、それは定かではありません。
ともあれデパート、メーカー、女性雑誌の仕掛けに、好きな男の子にアプローチしたい女の子達が全力で乗っかった結果「2月といえばバレンタイン。2月といえばチョコレート」となってからはや半世紀以上。
「好きな男の子にチョコレートを渡す日」という基本の部分は残しつつ、バレンタインの意味合いも色々と変わってまいります。
「バレンタインといえばスイーツビッフェ」「お菓子作りが趣味な子達が学校で自分の腕前を披露する日」「皆が甘いものを持ってくるので、しょっぱいお菓子や煮物や唐揚げを持ってくる子達が英雄になれる」
と、女子高時代の思い出を語る人は少なくありません。
女子高出身者だけでなく共学出身者にも、この時期だけに現れる期間限定チョコを友達と分け合って食べ比べした思い出を語る人は多い。
それどころか男女問わずチョコレート好きにとっては本来の目的だった筈の「誰からもらうか?」「誰にあげるか?」よりも「何を買うか?」「どこで手に入るか?」の方を重視する人すら出てくる始末。
その証拠に、この時期各百貨店が確実に客を呼べるイベントとして気合を入れて開くバレンタインイベントに集うのは女性ばかりとは限りません。
ライバル店には負けたくないと各百貨店のバイヤーが国内外のメーカーやショコラティエを口説いて集めたチョコレート目当てにいそいそと足を運ぶ男性も多い。
楽しい仕掛けには全力で乗る。乗せられた方が喜んで乗った結果が商売を育てる。
これは別にバレンタインに限った話ではございません。
ハロウィンもクリスマスも江戸の昔に始まった土用の丑の日も誰かが意図して仕掛けたこと。
私達は、自分が「いい!」と思えば、人の仕掛けにあっさりと乗る。それを誰が仕掛けたか?なんてことはあまり深くは考えない。
自分達がそう思うように仕掛けられていると知っていても、誰かが意図してそういう方向に心が向くよう先導していたとしても、自分の心が満足するなら気にしない。
そうして経済を、世の中を回していく。
「『祭り』と『festival』は違う」
かつて古事記を元に織りあげられた物語を英訳した翻訳者はそう言いました。
災害の多いこの国で、何故これほど多くの祭りがあるのか?
大きな災害に襲われた後でも、何故人は祀りを行うことを諦めず、出来る範囲で「今年の祭り」を行おうとするのか?
二月が近づくと行われるバレンタインイベント。
「今年は、行くのはちょっと」
と躊躇う声があると
「オンラインもあるよ」
とすかさず声があがる。
「今年来るのは、こことこことここで、逃しちゃいけないのはこれね。今年もこの時だけなんだから目いっぱい楽しまないと」
そう返されると躊躇っていた方も考えを変える。
「そうか、その手がありましたねえ。今だけですものねえ。せっかくだから楽しまないともったいないですよねえ」
そうやって、その時出来る範囲で祭りを楽しむことを見つける。
古事記には様々な切り口がある。宗匠が今回語られたのは人心、民の心、国の心としての古事記。
イザナミとの決裂が決定的となり、黄泉比良坂を必死で逃げたイザナギは日向の橘の小門の阿波岐原で禊祓をした。
かつてイザナミとともに治めていた国土を失い、南九州の一地域まで追い込まれ、同じ失敗を二度繰り返さないと心に誓った。
何もかも失い、0からやり直さなければならなくなったイザナギが生み出したものは国を立て直す為に必要な人の心。光輝く三貴子。
崇高な考え、法律、多様性を象徴する三柱の神。
その三神を頂点とする様々な神々を奉じる人々は、自分達の祖と伝えられるそれぞれの神に習い役割を果たし、神々の名が示す智慧を先人から学び、固い掟のもと失ったものを少しずつ取り戻していった。
北上し、海を渡り、東へ東へと領土を広げ、やがて大和へと入り、宮を定め、自分達こそが、この国を統べるものだと、この国に住まうもの達に認めさせた。
倭は 国の真秀ろば たたなづく 青垣 山籠れる 倭しうるはし
この国は秦の始皇帝のように一人の優れた英雄が人々を従えて国家を統一した国ではない。
固い掟で結ばれた人々がそれぞれの役割を果たし、それぞれの分を守って国家を統一した国。
国というものを立て直す為、二度と失敗しないという決意のもとに人々の心に植えつけられた掟。
この掟を解いていったのが平成という時代。
三貴子までは掟ではない。人々の心に起こったことを神とした。人々の心の動きを神とした。神とは人心の仮託。三貴子までは。
では誰が人の心に掟を与えた?それは守らなければいけないものだと人の心に沁みこませた?
三貴子は誰でも知っている。天照の孫が誰かを答えられるものなどいない。では天照の子供達は?
天照の娘達は答えられる。天照の娘だとは知らなくても宗像三女神の名を聞いたものはいる。
宗像三女神の名は知らなくても、女神の宮は知っているものはいる。
では天照の息子達の名は?天照の息子達の宮は?古事記の中でもこの五柱の神は目立たない。各有力豪族達の祖となった神々。その程度しか触れられない。
天照の子供達。天照と素戔嗚が誓いをした結果生まれた子供達。
崇高な考えを象徴する神と多様性を象徴する神が、我が身を飾る珠と我が身を守る剣を相手に手渡し、それを噛み砕かせて生ませた子供達。
天照が噛み砕いた素戔嗚の剣からは三柱の女神。
素戔嗚が噛み砕いた天照の珠からは五柱の男神。
どちらも誓約によって生まれ、どちらも天照の子とされる神々だが、天照が自ら生んだのは宗像三神。故にこの女神達は生まれてすぐ天照から神勅を受けた。
天照は滅多に神勅を下さない。孫である瓊瓊杵尊に三つの神勅を下したのは、天照から三つも神勅を受けるほど瓊瓊杵尊が貴い存在であるという証。
天壌無窮の神勅、 宝鏡奉斎の神勅、斎庭の稲穂の神勅。それは今でも瓊瓊杵尊の末裔が従い続けているもの。
瓊瓊杵尊以外で神勅を受けたものなど片手でも足りない。その数少ない者達の中に宗像女神達は入る。
命を受け、早々に母の許を離れた娘達。天照の手元におかれ、大切に可愛がられた息子達。
ここで覚えておきたいことがある。この息子達を生んだのは天照ではないということを。
天照の珠から生まれているが、その珠を噛み砕いたのは素戔嗚。
すなわちこの五柱の神は素戔嗚が生んだ息子達。では、なぜ天照はこの男神達を自分の息子としたのか。
天照が手元に置いた五柱の神。天忍穂耳命、穂日命、天津彦根命、活津彦根命、熊野櫲樟日命
天照は「否」がない神。決して下には下りない崇高な存在。絶対の神。
その絶対の神がこの五柱の神を自分の子供といって手元に置く。手元に置いて可愛がる。いったい、それは何故か?
たんに名だたる豪族達の祖であるというだけで、天照がこの神々を大切にするのか?それだけで手元に置くのか?
これらの神は掟の神。この神々が天照の手元にいることで、この国は天照が望まない方向に行った時でも戻ってこられるようになった。
天照はイザナミに敗れ、滅びかけた国を立て直す為にイザナギが生み出した存在だった。
国を蘇らせる為に必要なもの。
人が自ら仰ぎ見る至高の存在。お天道様に恥じないように。矜持は人を律する。イザナギが望んだように。
けれど、そんなもの己の利の為に何の役にたつのだと見向きもしないものもいる。
自らを律しようとしないものをどうやって縛ればいい?どうすれば国を統べるもの達にとって、望ましくない方向に人の心が向かうのを正すこと出来る?
人の心に掟を作ればいい。破ってはいけないものを心の中に与えればいい。
天照の五柱の息子達。この神々が現れたことで、人心は作られるものになっていく。
三貴子までは、人心は作られるものではなかった。人心というのは集うもの。自発的に集まっていくもの。起こされるべきして行われたもの。集まってきた人々が望んだもの。
自然発生的に起こったその行動が正しいか、正しくないかは分からない。理性で律せられているかどうかも分からない。中庸であるかも分からない。非常に原理的であったかもしれない。
それでも、そこに集った人々が自ら望んで行ったこと。そこに集った多数派の人達が、それを「良し!」としたこと。
ここまでは集った人々の心が人心だった。多数派の人々が人心だった。
天照の息子達の出現でそれが変わった。そうでない人心を人々に押しつけることとなった。
五柱の神が示す人々が従うべき掟。人々に押しつけられた人心。
「トップの言うことに忍びなさい」
「日にちを間違えない」
「労働しなさい」
「生みなさい」
「死になさい(それを重んじなさい)」
この五つを人心にしていく。そのやり方を天照は、見つけてしまった。
人心は、先導者がいなかったら、集った人の心のままに動く。自分の心に従ってちゃんと動く。五柱の神が現れた時、「先導者」というものが生まれた。
人心に対して「先導者」というものを初めて作った。
「バレンタインは好きな男の子の為にチョコレートを贈る日」そういう先導者を作った。
「愛の印としてチョコレートを贈りましょう」そういう方向へ人の心が向くように先導した。
ところが「チョコレートを贈りましょう」そう先導された心の中に、そうでない心が現れる。
「せっかく普段は手に入らないチョコレートが手に入る時期なのだから、人に贈るだけではなく自分の楽しみの為に買ったっていいんじゃない?」
こちらが作られていない人心。先導者が意図しないことが人々の心に起こる。自ら考え、自分の感情のままに判断して動く。
作られた人心は、自分達がそう思うように仕向けられていると思うことすら思わないま
ま先導者の望みの通り動く。
作られていない人心は、先導者が予想していなかったことを勝手に起こし、動く
「自分が、そうしたいと思っているから」
それは、どちらの人心だろう。自分の心が欲したものか。それとも先導者が示すままに、そういう風に欲するものだと思い込まされているのか。
その先導者の始まりが天照の五柱の息子達。
「忍びなさい」という人心。人心に「忍ぶ」ということはあり得ない。
人心は集った人の心。集団で喜び騒ぐことがあっても、悲しみ泣きわめくことがあっても、集団で「忍ぶ」ということが自然にあり得るだろうか?
東日本震災の後、東北を訪れた英国人ジャーナリストは被災地の人々の冷静さ、寛容さ、耐え忍ぶ様に、母国の地方で同じことが起こったら、とてもこんな様子にはならないと感嘆した。
そしてその感嘆は長い取材を続ける間に苛立ちへと変わった。
何故、怒らない?何故、困っていると叫ばない?何故、耐え忍ぶ?何故、そこまで自分を抑えようとする?
「忍ぶ」とは「心に刀(刃物)を持て」ということ。心に剣を持て。それほど強い意志をまず持て、という人心を作った。
努力は報われないことがある。日本人は、それをよく知っていた。一年間、田を耕し、草むしりをし、手をかければ手をかけるほど実りとなって報われるのであれば、どれほど良かっただろう。
どんなに努力しても天候は意のままにならない。望んだ実りは得られない。泣き叫ぶ代わりに祀る。
「あなた達が今年、神様を怒らせたからこういうことになってしまったよ。だから我慢しなさい。」
努力が無となった怒りの代わりに祈る。今年は駄目だったけれど、来年は良い収穫を与えてください。その怒りを解いてくださいと神を祀る。
人心は我慢しない、本当は。理不尽と感じたことに怒りを感じるのは当然の人の心。
けれど、「我慢しろ」という人心があることを教えられたら我慢する。
終戰の詔勅ですら天忍穂耳命は現れた。「堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ」
これが作られる人心。普通は生きものだから我慢なんてありえない。目の前に食べ物が会ったら食いつく。命の危険を感じたら逃げる。
太平洋戦争の時、国は都市の住民に逃げることを禁じた。防空法で空襲時の消火活動を義務づけた。軍人ではない、民間人に義務づけた。
戦争中、ともに空襲にあった日本在住ドイツ人が炎の中でも逃げずに火を消そうとした民間人の姿を「ドイツではありえない」と記している。
軍人のように命の危険を晒しても、軍人のように義務を果たしたことで命を落としても、民間人を保護する戦時災害保護法は戦後復活しなかった。
年金や補償が復活した軍人・軍属と違って、民間人は命や財産を失っても何の保障もされなかった。
名古屋・東京・大阪の空襲被害者が、国に補償を求めて裁判を起こしても
「国民全体が我慢しているのだから、どのような被害を受けたとしても、あなたも我慢しなさい」
という理屈で、民間人空襲被害者への補償は退けられてきた。いわゆる「戦争被害受忍論」ここにも天忍穂耳命は現れる。
震災でも、コロナでも、何かあった時日本人は凄く理性的に動くと世界中で言われている。異邦人が己の母国との違いを並べて報道する程度には言われている。
それは二千前にそういう人心を作られたから。
「我慢しろ」「忍べ」これは「お天道様が見ている」という考えの延長。だから一番の長男となった。
これが掟。それが段々と薄まっていって矜持になっていく。
「男のやせ我慢、粋に見えたよ」
流行歌に歌われるほど、それは美点と捉えられた。知らない間に教えられた心は、二千年の間に私達の心に確固として染みこんだ。
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