海という天然の城壁によって守られている私達には理解しにくい感覚ですが、対立する国々が元は同じ国だったという例は世界では珍しくありません。
日本では、国難とされる元寇。これは世界史的に見ると、日本はなんと運と地形に恵まれた国だという話になりまして。
無論、対馬をはじめとする九州武士団の勇猛さや後方からそれを支援した名執権北条時宗の采配あっての運の良さですが、ユーラシア大陸でどれだけの国々がモンゴル帝国の軍靴に下り、どれだけの国々が滅ぼされたのかということを考えると、やはり日本という国は運がいい。
イスラム黄金時代を築いたと言われるアッパース王朝、世界最初の紙幣を作ったとされる南宗。ともにこの頃、モンゴル帝国によって歴史から姿を消しました。
この時同じように滅ぼされた国の一つにルーシー大公国という国がございます。英語名のキエフ大公国の方が日本では通りが良いですが、現在のロシア、ウクライナ、ベルラーシの祖となる国でございます。
このキエフ大公国を統治していたのがリューリク朝。9世紀から16世紀半ばまでの東欧諸国の諸侯はこの公朝の血をひいております。
そして更にもう一人、18世紀ドイツにこのリューリク朝の血を引くお姫様がおられました。名前をゾフィー・アウグスタ・フレデリーケ。
嵐の為に遭難した日本人に同情して、無事帰国できるように手を打ってくださった方でございます。
もっともこの名前は結婚前の名前でございまして、おおかたの日本人はこのお姫様が同じリューリク朝の血を引く王子様と結婚する為に故郷を離れ、王子様の叔母君が治める国の宗教に改宗されてからの名前の方が馴染みある名前でございましょう。
嫁がれてからのお名前は、エカチェリーナ・アレクセーエヴナ。ロマノフ朝の血を引かないにも関わらず、歴代ロシア皇帝の中で、ピョートル大帝とともに「大帝」という尊称で呼ばれた女帝エカチェリーナ二世。
同じように異国から迎えた妃であったフランスの王妃マリーアントワネットが国民から「オーストリア女!」と罵られ断頭台の露に消えたのに対し、こちらの御方は夫を謀略で葬り去って帝位についたのにもかかわらず、国民から「国母」と呼ばれ「我らの偉大な母、エカチェリーナ」と敬愛を捧げられた御方でした。
その違いはどこにあったかと言えば、エカチェリーナ大帝は、自分が外国人であったことを忘れなかったということでありましょう。
欧州の王室は外交の為に政略結婚を繰り返しましたので、縁を辿ればどこもかしこも遠い親戚。
ロシア革命で倒れた最後のロシア皇帝、ニコライ二世の妻アレクサンドラ妃はヴィクトリア時代を築いたことで知られるイギリスのヴィクトリア女王の孫娘。
従って、自国の一般庶民より他国の王族の方がよほど親しみを感じるということは珍しいことではない。とくにエカチェリーナ妃の場合、自身だけでなく夫のピョートル3世もドイツ育ち。一般庶民どころか貴族階級とでさえ言葉が違う。皇太子夫妻はドイツ語で言葉を交わし、貴族達はロシア語で言葉を交わす。
この状況に危機感を抱かなかった夫とは違い、エカチェリーナは熱心にロシア語を学び、改宗したロシア正教の主教達へ積極的に教えを乞うた。
夫であるピョートルは、といえば皇太子になる為にやむを得ないことと改宗は受け入れたもののロシア正教には馴染まず元々の信徒であったルター派教会を重んじた。
そればかりか帝位につくと、皇帝になったのだから遠慮はいらないとばかりにロシア正教を弾圧した。
ロシア皇帝でありながら、プロイセン国王フリードリヒ2世の信奉者で、軍にドイツ式を取り入れようとし、七年戦争では軍人達のそれまでの努力を無にして、プロイセンに有利な講話条約を結んだ。
ロシア皇帝でありながら、ロシアの言葉より、ロシアの宗教より、ロシアの軍隊よりドイツ式を好む皇帝と、ロマノフ王朝の血は引かないがロシア語を話し、ロシアの宗教を重んじ、ロシアの軍隊の要望に耳を傾ける妃。
どちらが国の主として仰ぐのに相応しいのか?皇帝は自分を値踏みする人々の視線に気づかなかった。
いつの世でも政は、軍と教会を味方につけた方が強い。剣と信仰は、それを得たものに力を与える。
軍と貴族は皇太子夫妻の血筋よりも、どちらが自分達に利を与えるものか?どちらが害を与えるものか?で判断した。
将校は貴族でも兵士は庶民。彼らが素朴な疑問を抱いたとしてもおかしくはない。
「お妃さまは、ロシアの人ではない。なのに王様を追い出してお妃さまが王様になるのか?」
たとえ兵士は戸惑ったとしても、教会がそれを「是」とするなら不思議に思いながらも兵士達は納得する。
主教様は、いつも「天国に行けるような行いをしなさい」と言っている。その主教様が神様を守る人としてお妃様に味方しろと言っているのだから、お妃様が正しい。
教会や主教様を虐める皇帝はきっと悪魔にとりつかれたんだ。
そうして兵士の納得は女帝の軍隊が仇敵であるオスマン帝国との戦いに勝ってクリミア半島を手に入れ、ロシアの国土を大きく広げたことで正しかったと証明される。
男達が戦いに勝って、祖国の英雄として賞賛を浴びている間、女帝はロシアが欧州諸国に「北の野蛮な大国」と侮られないよう女達と文化教育の整備に力を注ぐ。
英邁の誉れ高いターシュコワ侯爵夫人をロシアアカデミー総裁に迎え、教育科学を発展させる為に下級貴族や下士官にも門戸を開く。
世界遺産に登録されたエルミタージュ美術館は女帝が集めたエルミタージュコレクションを展示させるに建てた離宮がその始まり。
女帝とその優秀な片腕である女性側近が推し進めた政策は欧州各国が抱くロシアのイメージを「北の野蛮人」から「北方の優雅な大国」に変えさせる為の原動力となった。
2月の古事記講座で「文化とは発信側の問題ではなく受け手側の問題である」と宗匠は語られました。
エカチェリーナ女帝の発信した「ロシアは北方の野蛮国ではない。これだけの文化を有する文化大国である」というメッセージを欧州各国が「なかなかやるじゃないか」と受けとめたのは、メッセージを受けた側にそれを理解するだけの文化があったから。
ドイツの田舎の公女様であったエカチェリーナ女帝は、文化の華と謳われたウィーン、パリ、ロンドン、欧州各国の大都会に棲む人々の目の厳しさを知っていた。
その人々が王として仰ぎ、重んじる者が持つ人材の豊かさも知っていた。
「こんな程度のものを誇るんだ。まあ、ロシアだからねえ」
宮廷人は値踏みする。それがどの程度のものであるか。どれだけ自分達を楽しませるか。どれだけ自分達を唸らせるか。
「この国に、これほどのものがあるとは!」
そう彼らを驚かせこそ、ロシアは大国になれる。彼らを感嘆させるほどのもてなしが出来てこそ、ロシアの格があがる。
女帝は文化というものの持つ価値をとてもよく理解していた。
古事記には色々な切り口がある。そう宗匠は語られる。今期の語りで宗匠が語られたのは人心。人の心を切り口として語れた古事記。
人の心が何を神としてきたのか、何を欲してきたのか、何を作り出してきたのか、それを語る古事記。
神という存在に仮託して語られる、この国の成り立ち、在り方。為政者とそれを支える民。二千年続く平穏を生み出した智慧として語られる古事記。
先回の講座で宗匠は古事記の波目が変わったことを告げられた。
三貴子までの神々は生まれるべきして生まれたもの。人の心が欲するままに起こったことを伝えるもの。人が何を求めてきたのかを示すもの。
天照と素戔嗚の誓いから生まれた八柱の神々。この神々の出現でその時代は終わった。ここから何がこの国を保たせてきたのか。それを神々が示す時代となる。
自然と集って湧き上がってきた人心から、作られている人心へ。作られてきた人心であり、自然とそう思うように湧き上がってくる人心へ。
天照の子とされた八柱の神。
三柱の女神は生れ落ちてすぐ、天照からの神勅を受けて母の御許を離れた。
五柱の男神は天照の側で、二千年にわたり民を縛り続ける掟を作った。
掟は人を縛るものであり、人を守るものである。掟に縛られた平穏。掟の中にいる人にとって掟は指針。それを守っていれば生きやすい。産業は伸びる。繁栄もする。
天照の御許にいて、傍を離れなかった神。天照が絶対神になる前に生まれた神。天の岩戸に籠る前に素戔嗚との誓いによって生まれた神。
天の岩戸に籠ったことで、自分は絶対の存在であることを知らしめ続けなければならないことを悟った天照が我が子として可愛がった神。
天照の意を受けて、天照の望むように動いた神。五柱の神は天照が満足するだけの働きを見せた。
五柱の神が示す掟に結ばれた人々によって、天照は、天照の末裔は、天照の末裔を担ぐもの達は、かつてイザナギが失った以上のものを得た。
では三柱の女神が人々の心に与えたものは何だろう。天照は、滅多に神勅は出さない。その滅多に出さない神勅を生まれたばかりの娘達に与えた。
すぐに行うべきこととして娘達に命じた。息子達ではなく、娘達に命じた。娘達でなければ出来ないことと命じた。
素戔嗚が天照の珠を噛み砕いて生まれた五柱の息子達でなく、天照が素戔嗚の剣を噛み砕いて生まれた三柱の娘達に命じた。
日本は古来宝石の産地。新潟の糸魚川周辺は世界最古の翡翠文化発祥の地として知られる。日本産の翡翠は東洋では珍重された。
天照の息子達は日本で生まれた宝石から生まれた。
天照が噛み砕いた素戔嗚の剣は、十拳剣。元はイザナギが持っていたもの。加具土命を斬り、黄泉の国から逃げ出す際に己を守る為に振るった名刀中の名刀。
そして素戔嗚は日本の製鉄技術を変えた神。今までなかった技術をもたらして、一気に技を進化させた神。
すなわち素戔嗚の持つ剣は外国のもの。異国で生まれた剣を噛み砕いたら娘達が生まれた。これは宗像三女神が外国との関わりが深いことを示している。
宗像三女神、その別称は道主貴あるいは道之貴。むちは尊称の最上級。数多いる日本の神々の中でこの尊称で呼ばれる神々が三神しかいない。
大己貴命、大日孁貴神、道之貴。
すなわち出雲の主である大国主命。高天原の主である天照大御神。そして天照が真っ先に神勅を与えた宗像三神。
古来この女神達は船乗りに尊崇された。星を重んじない日本の神話の中の数少ない例外。天空に輝く三筒。西洋でいうところのオリオン座の三ツ星。あれは、この三姉妹を表していると船乗り達は考えた。
あのが南を向いていれば航路は間違っていない。目印になるものなど、何もない大海原で自分達を導いてくれる存在としてこの三星を重んじ、宗像女神達に加護を祈った。
女神達が加護する道は、陸路ではない海上の道。
むろん道之貴と称えられたからには陸路を旅する者もこの神に加護を祈ったが、板子一枚下は地獄の海を渡る者とは真摯さが違う。
沖津宮の多紀理毘売、中津宮の市寸島比売命、辺津宮の多岐都比売命。先に生まれた姉姫が一番外国に近い場所へ。中の姫が姉の後へと続き、末の姫は姉達の加護を受けて無事戻って来られた者たちを、すぐに迎えられる場所で待つ。
荒海で知られる玄界灘で祀られる三女神が道之貴と呼ばれることも、数少ない神勅を受けたものであることも、生れ落ちてすぐに母の命を受けてその役目についたことも今の私達には何の違和感もない。
玄界灘は、遣隋使も遣唐使も渡った交通の要所。
「あなた達三柱の神は、天より道に降臨し、天孫を助けなさい。そして天孫によって祀られなさい」
そう天照が娘達に命じたとしても何も不思議なことはない。天照が娘達に命を与えたのはいつなのか?ということさえ考えなければ。
天孫降臨の場所として伝えられる場所は二つある。日向北部の高千穂町。大隅と日向の境にまたがる霧島連山の一つ高千穂峰。
いずれも海から遠い山の中。天照の孫息子が地上に降り立った時でさえ、海は近しい場所ではなかった。
イザナギが出雲を追われた時に、海から遠い山の中へと追いやられたというのに、何故天照は娘達に「道を守れ」と告げたのか?
守らなければならない道はあそこだと海の道を指定したのか?
息子達に掟を作らせるよりも先に、娘達に道を抑えさせるのが先だと思ったのか?
外国からの脅威?宗像の海から遠い日向の山の中にいて、何を脅威に思うことがある?遠い東の果ての地の、海から遠い山の中まで、異国の軍隊がわざわざ攻めてくるとでも?
海を渡って、そんなことまでして得られる利がどこにあるのか?第一、そんな無駄なことをする余裕など海の向こうの地にはどこにもなかった。
大陸は群雄割拠の大混乱。半島も負けず劣らず大混乱。大陸も半島も、どこが王者になるのか敵対する相手の動向を伺うのに忙しく、遠い東の果ての地のことなど気にしている暇などない。
生きるだけに精いっぱいの時代、糧を奪い合う隣村のことを気にするものはいても、外国のことを気にする余裕などどこにあるのだろう?
なのに、天照は真っ先に娘達に神勅を与えた。海の道を護れと、外国へと通じる海路を守護しろと娘達に命じた。
そこが一番最初に抑えなければならない大事な道だと考えた。
では、道とはいったい何だろう?道を整備することが国の支えになるとローマ帝国が開いた道は今でも残る。「すべての道はローマに通ず」
道は運ぶ。人を、荷物を、未知のものを。道の彼方から知らないものがやって来る。新しいものがやって来る。
これが天照が娘達に、海の道を抑えさせた理由。海を渡ってやって来る。何が?新しい技術や文化が。三姉妹が護っている海路を窓口にしてやって来る。
素戔嗚という多様性という多様性と対峙した時、天照は国を治めることの難しさを理解した。天照の意のままにならず、それなのに天照に逆らう気はないと口にするもの達。
移り気で厄介な人の心をどう手のひらの中におさめるか。為政者が一番恐れるのが反乱。人心が治まらないと反乱が起こる。人心を掌握しないと反乱が起こる。
天照は道を作った。宗像は胸方。胸がときめくものがやって来る。海路を使って、向こうからワクワクするものがやって来る。
文化とは、もてなしている側でなく、もてなされている側の為にあるもの。伝えられた側が喜ぶもの。
松谷みよ子が編纂した「現代民話考」。文明開化の巻でこういう話がある。文明開化という言葉が大いに流行った時代。江戸から東京へと名前が変わった都へ、一人の男が用事で出かけ、そこでカレーライスというものを食べて感激した。
「なんて美味しいんだろう。故郷の皆にも食べさせてあげたい」
男はカレーライスの作り方を携えて故郷へ帰り、村のものへと振る舞った。
「なんて美味しいんだろう。これが文明開化か!」
カレーライスの作り方は、あっという間に村中に広がり、カレーを村へと持ち込んだ男は「村に文明開化を持ち込んだ男」として村長となった。
文化とは新しいもの。胸がドキドキさせられるようなときめくもの。文化があると感じるところには楽しみやときめき、新しい経験がある。
道とは文化の行きかうところ。私達の知らない新しい技術や文化、胸がときめくことが宗像女神達が護る道を窓口にしてやって来る。海を渡ってやって来る。
為政者は海外から入ってきた新しい技術や文化を自分達を通して民に紹介した。民は、こんな素晴らしいものを作ってくださる御方はなんて素晴らしいのだろうと、新しいものをもたらした者の前にひれ伏した。
心を掴まれた者は、自分の心を掴んだ者には逆らわない。自分の心を掴むものを、もたらしたものには逆らわない。
天照は人々の心を掴んだ。
文化とは道、それを掌握することで天照は反乱の芽を摘んだ。自分に新しいもの、胸がときめくもの、楽しいもの、美味しいものをもたらしてくれるものにどうして悪感情を抱けるだろう。
宗像三神は男神ではなく女神。女性は新しいものが好き。便利なものが大好き。
女神のお眼鏡にかなわないもの、女神が護るものに害するものと判断したものは、道の向こうに追い返すが、皆がワクワクするもの。新しいときめくものは喜んで通す。
唐渡りのものがやって来る。胸がときめくものがやって来る。やって来たものは、もう自分達のもの。
醤油もお茶も唐渡り。女神の道を通って、海を渡ってやって来たもの。これは美味しい、素晴らしい!なんて良いものなんだろう!そう思った途端に文化は広がる。
良いと思ったものを取り込んで、更に自分達が喜ぶものへ、楽しめるものへと変えていく。
文化とは道。道を抑えたものは、常に新しいものを見させてくれる。
人心は作られる。人の心が文化に向く。掟でがんじがらめにするのでではなく、新しいものを、新しい技術を、新しい文化を、抑えている道から手に入れて、ヒョイと民に渡せば
人心はどんどん新しい伏せ方をする。
宗像は胸方。文化の来る方向にあった人達。宗像大社は宝の山。国宝だけでも数万点。
ペルシャから渡ってきたガラス、金細工、銀細工。
宗像大社は世界遺産。女人禁制の地を含む場所が世界遺産に指定されるなんで本来ならばあり得ない。
けれど東洋と西洋がどう交差したのか、それが分かる宝物がこれほど残されている場所は世界遺産にせざるをえなかった。
もっとも沖津宮が女人禁制になったのは比較的近代。昔は巫女がいた。その証拠に沖津宮には女人が渡った形跡も残っている。
漁師達には船霊信仰があり、女人が船に乗るのを嫌がる。おそらくは漁師達の船霊信仰が女人禁制につながった。
女性が足を踏み入れてはいけない、という掟を作ったら日本人は守る。この「掟を作ったら守る」という日本人の在り方が世界遺産につながった。
大島に入れたものは全部置いていかなくてはいけないという掟がある。宮司でさえ、沖津宮に入る時は衣を脱いで、船から海へと入る。泳いで島へと渡り、島の中で待っていたものから衣を受け取る。
あそこのものは島外に持っていったら、たたられるという掟を作ると海賊さえも掟に従う。だから海を渡ってやってきた宝物は、そのまま沖津宮の中にある。
戦乱の多い大陸では壊され、残っていないもの。途絶えてしまったガラスの技術。金鋼の技術、それらで作られているものが大島には残っている。
女の人が文化を連れてくる。向こうから来る文化を掌握する人が胸方であり、宗像。胸方、人心の中の楽しみの方角。
窓を開けておく。道を作っておく。向こうから来てくる。掟で戒めるだけではなく、新しい楽しみという喜びで天照は人の心を掌握した。
神様は作ることが出来ると天照は気がついた。それまでの神は遠くなる。ここからの神は近くなる。
そして、神は作ることが出来るということを天照に教えた神については、また語られることとなる。
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