第25回 アメノコヤネ

よく知られた物語の中でも語られなかった謎というものはございます。例えば高畑勲監督の遺作となった「かぐや姫の物語」あれなどまさに竹取物語の中で語られなかった謎に高畑監督が挑んだ物語ですね。

映画公開時のキャッチコピーは「姫の犯した罪と罰」そう、それが竹取物語の中で明かされることがなかった謎。

「かぐや姫は、いったいどんな罪を犯して地球に追放されたのか?」

竹取物語の中では、語られることがなかった謎。姫が犯した罪とは何か?そしてその為に受けた罰とは何か?を高畑監督は自身の解釈で遺作として残しました。

そして、またもう一つ「姫が罰として異郷へと送られた」これをまったく別の解釈で語られた物語がございます。

名前だけは竹取物語の主人公と同じ名を持つ少女のまったく異なる物語。

かぐやと呼ばれる名を持つ少女には幼少時の記憶がない。戦災孤児のようなボロボロの姿で彷徨っているところを保護され、今の家族に養女として迎えられたからだ。

憶えているのは傷だらけの片手を無くした少年がそれでも彼女に向かって笑いかけながら、残された手を差し伸べる姿だけ。

その少年が誰なのか。何故、その姿を思い出すと胸が痛むのか。それすらも彼女には分からないまま、忘れられない少年の姿を抱えたまま彼女が日々を送る中、養父の汚職事件が起こる。

家の周囲をマスコミに囲まれ、家族が大混乱に陥る中、さらに大きな混乱を彼女が襲う。心配した友人との電話中、彼女の部屋に「あなないの娘を迎えにきた」という女性達が現れる。

電話の向こうの友人に「警察を呼んで!」と叫んだ彼女の声を聞いた義兄は彼女と養母を逃がすが、門の前に立っていたのは大斧を持った髭の男。

彼女を背にして守ろうとした養母の前に、今度は大鎌を持った赤毛の男が現れ、髭の男と争い始める。

争いを見つめるしかない二人を無視して、赤毛の男は連れていた人形に「あなないの娘を転送しろ」と命じる。娘を守ろうとして養母の手をすりぬけて、彼女は連れ去られてしまう。

気付いた時には、周りは森だらけ。傍にいたのは記憶の中の少年と同じ姿を持つ言葉を話せない人形。

なんとか人里を探すために山を降りようとして彼女は人狩りに襲われ、助けてくれた美少女の言葉で、いま自分がいるのは「異世界」であることを知る。

美少女は語る。多元宇宙という考え方を。宇宙は多層に重なり合っていて、一層ごとに違う発展をした同じ「地球」が存在する。

人類が進化した地球は現在9つあり、それぞれ一界、二界と数字がついている。今まで彼女がいた世界は進化が遅れ、罪びとの世界とされていた三界であり、今いる世界は四界があり、第七界には大きな権力を持っている皇帝がいることを。

多層に重なり合った宇宙は、少しずつ軌道を曲がって進んでおり、もうすぐ全てが衝突して滅びること、その時白紙のカードを選び出す力を持つ「あなないの娘」が1つの世界を選んで救うと言う伝承があることを教える。

「あなないの娘」に選ばれなかった世界は滅ぶ。全ての世界のものが自分の世界を救う為に伝説の娘を探し求めていた。

彼女が家族のもとから連れ去られたのは、彼女こそが世界を選んで救うという「あなないの娘」であり、争っていた男達は「生きる武器」を持つ英雄。

宇宙は終末の後に再スタートし、また終末を迎えて再スタート。バグのあるプログラムが何度もリセットされるかのように何度も滅びを繰り返す。

「生きる武器」という神器に選ばれた英雄達だけが、神器に与えられた力で滅びを乗り越えて生き続け、繰り返される滅びから自分の世界を救おうとしていた。

記憶の中の少年は、英雄の一人である彼女の兄。彼女を三界に隠したのも彼だった。自分が、「あなないの娘」であることに戸惑い納得できないまま出会った人々の力を借りて、全ての界の人々を救う方法を模索していた彼女は、やがてこれがペテンであることに気づく。

英雄の一人である七界の皇帝に彼女は言う。

「だっておかしいよ。私はただの女の子で、武器に選らばれた人達みたいに凄い力なんてない。」

世界をペテンをかけたのは彼女の兄。旅の途中、彼女が出会った賢者も彼に協力した。時間をかけて伝説を撒き、全ての界にどの世界を救うか選ぶという「あなないの娘」がいることを信じさせた。

そして彼以外の英雄達も「あなないの娘」の伝説がペテンであることを薄々理解していた。

繰り返される滅びの中で、英雄達は滅びから逃れられない絶望で自暴自棄となった人々が暴徒となり自ら死に向かう光景を何度も見てきた。七界の皇帝は言う。

「希望がいるのだ。『あなないの娘に選ばれた世界は救われる』という希望が。ペテン?それのどこが悪い?

あの娘に俺の世界を選ばせる。俺が七界を救う。結果として世界は救われ、伝説は正しかったとなる。それでいいではないか」 

全てのペテンが明らかになった後、彼女と英雄達はどうやって全ての界に生きる人々を救うのか。これが「あなないの娘」と呼ばれたもう一つのかぐや姫の物語。

さて、姫といえばもうお一方。日本で春の花と言えば桜ですが、この花の語源については、いくつかの説がございます。

「咲く」に複数を意味する「ら」を加えて「さくら」

富士の頂から、花の種を撒いて様々な花を咲かせたと木花之佐久夜毘売の「さくや」から転じて、「さくら」

この木花之佐久夜毘売、象徴する花が桜であるからも分かるように絶世の美女として知られた方で。その美貌に魅せられ妻問いしたのが天照大御神の孫である瓊瓊杵尊でございます。

この瓊瓊杵尊の父君の天忍穗耳尊が、大抵の人には名前も知られていない地味な神でありながら、私達にどれほど大きな影響を与えた神であるのかは、先の講座で宗匠が語られた通りでございます。

天之御中主神から宗像三神まで、宗匠は人心を基軸として古事記を語られました。神とは人心の仮託。

今期の講座で宗匠が語られたのは、人心。人の心としての古事記。人の心を神という名前に仮託して古事記が何を語り続けたのか、何を記し続けたのか。そのことを語る古事記。

では、人の心が表す神とは何か?私達が神と言っているもの。神という名で呼んでいるものとは何か?

西の国の人々がGODと呼んでいる存在と私達が「神」と呼んでいる存在とは同じものか?

GODには絶対という意味がある。それは西の国の協会に行けば分かる。

神の絶対を人々に伝えることだけを目的として建築物。

神の力を知らしめすことだけを目的として建築様式。

神の素晴らしさを理解させることを目的とした絵画、彫刻。

神の力を称え、加護を乞うことを目的とした楽曲、合唱歌。

文字を読むことが出来ない無学な貧しいものでも、そこへ行けば神の偉大さ、神の絶対さが分かるように西の国の教会は作られている。

まったく異なる文化を持ち、まったく異なる言語を持つ人々でも魅了できるよう。教化できるよう。神の偉大さが伝わるよう。GODの絶対から離れることのないように西の国の教会は作られている。

戦国期、大名達の間にさえGODに帰依したものが出たのは宣教師達が伝える教えに魅かれたわけではない。そういうものは少数派。たいていのものは宗像女神の加護の範囲から出なかった。

人々が宣教師達の許に通ったのは、ただ美しかったからだけだ。宣教師達がもたらした絵画が。宣教師達がもたらした音楽が。

磔にされた男を好まなかったもの達も、幼子を抱く美しい女性の姿は好んだ。宣教師達の教えには気を惹かれなくとも、宣教師たちが奏でる楽曲や合唱歌には魅かれた。

宗像女神の加護の許、自分達が良いと思うものだけに魅かれた。自分達が良いと思うものだけを選び残すこと

に慣れた人達にも好ましいと思わせる演出力。

教会を訪れたものを思わず跪かせるほどの神々しさ。服従と降伏の姿勢を自ら喜んで取らせる程の絶対力。神に庇護されているという喜びと絶対の神の規範から外れること、逆らうことへの恐ろしさを身に染みて理解させるGOD

それは「かみ」と同じものか?杜に守られた社。ここは神域だと神の住まう場所だと手を合わせても、服従と降伏の姿勢を取る為に跪くか?

日本の神には絶対はない。日本の神は絶対など必要としない。ここに神がおわします。ここに大いなる存在がある。

火を噴く山に、荒波にも揺らがない巨石に、天届くほど枝伸ばす大樹に日本人は「かみ」を見た。人が勝手に「かみ」を見た。

人の求めで「かみ」になったものが、どうして服従と降伏を求めようか。大いなる存在に頭を下げたいのは人。畏敬して見上げ、加護を祈りたいのは人。

日本は言霊の国だと言う人がいる。宗匠は、それは違うと言われる。日本は言霊ではなく音霊の国だと。

「あー!」と叫び声がすれば、何かあったかと振り返る。「いー!」と顔をしかめて子供は反抗の意を表す。「うー」と頬に手をあて深く唸り続ける人があれば、何か考えごとをしてそうだ、とそっと見守る。「えー!」と声がすれば何を驚いているのだろうと思う。「おー!」と声があげて、逆転試合の喜びを伝える。

日本語は50音一つ一つの音に意味があり、それを組み合わせて単語を作り出している言語体系。

日本語がこれだけオノマトペが豊かなのも音に意味がある言語体系だからだ。「ぷよぷよ」というオノマトペを聞けば、どういう状態か分かる。「もふもふ」というオノマトペを聞けば、どういう状態なのか分かる。

日本語は、話している言葉が全て祝詞。全て呪言。意味のある音を組み合わせて単語を作りだしているので、何をどうしているかが言葉で分かる。直接な言葉が発せられる。

「誰か~!」そう声があがれば、それだけで何かあったか分かる。音の響きで、ただ呼ばれれているのか、助けを求めているのかを区別する。

「誰か来て~!」この短い言葉だけで非常に多くの情報が入っている。そして、その言葉を耳にした人に、どんなに危険な状態なのかを楔として打ち込む。

一つの単語に多くの情報が詰まった言葉。私達は、常に祝詞を発している。呪言を発している。祝詞は神に奏上する時に使われるもの。従って、発している先は「かみ」

では、この「かみ」というのは、どういう日本語なのか。私達が言っている「かみ」とはいったいなんなのだろうか?

「かみ」という音はいったい何だろう?「かみ」という音だけなら、色々な意味の言葉がある。上、髪、守、紙、これらは全て「かみ」という音を持つもの。では、何故しめすへんに申すという言葉を「かみ」と音づけしたのか。

「かみ」という音には、複数の意味があり、それぞれの意味に相応しい文字を日本人は選んだ。

「神」という字が音読みではジン。「神」を「かみ」と呼ぶのは訓読み。「かみ」という音に相応しい文字として日本人は「神」を選んだ。

「かみ」ただしくは「かんむい」。古くは「か み」KAMMI。かとみの間にMが入る。「KAMUI」ひらがなで書くと「かむい」音の意味に相応しい文字として日本人は「神」という字を選んだ。

 ここに日本人の神の解釈が集約されている。私達は「神」を理解できない。教会のキリスト像を見て神だと理解はする。

 だが、あれは日本の「神」か?「神は人心の仮託」今期の古事記は、人の心としての古事記を語ると宗匠は何度も口に出された。

 教会にいる神は人心の仮託ではない。では、何故私達は、しめすへんに申すという文字を神としたのか。その文字を選んだのか。

天児屋命という神がいる。天照が岩戸に隠れた時に岩戸の前で祝詞を唱え、天照の孫である際邇邇芸命の天孫降臨に随伴したと記される神。

 この一柱の神が私達の神観念を創りあげた。

「みちぬしのむち」「おおなむち」宗像女神や大国主に捧げられた貴い神を示す「ムチ」という尊称。イザナギもイザナミも命や神とは呼ばれなかった。

なのに、私達は「人心の仮託」と言って神だと思っている。では、誰が神でなかったものたちを神としたのか。

 神でなかったもの達を神に押し上げた神。それが天児屋。祇侯神として、伊勢神宮の中へまで天照の伴をした神

 何故、天児屋は神でなかったものを神にしたのか。それは天児屋は言葉が巧みだったからだ。申し上げることを台の上に載せることが出来るほど、天児屋は言葉を持っていた。

 天児屋が神を作った。だから私達は神が分からない。跪きたいもの。救いを与えるもの。過ちを犯さないものものとして仰ぎたい筈なのに、日本の神はそうではない。

 西の国の磔にされた神は笑わない。日本の神は笑う。怒る。喧嘩をする。過ちも犯す。

やっていることは私達と変わらない。神とは思えないことをするのが日本の神。

 人心というものに対する大いなる力。人心のベクトルをどういう風に向かせるのか。これが為政者の一つの仕事。

 このベクトルが神であることを、日本でたった一人。天児屋だけが知っていた。何故、天児屋だけが知っていたのか。

 それは天児屋が為政者が人心を掌握できない時、何が起こるのかを知っていたからだ。

天児屋は美しい神だったと伝えられる。声で綺麗で歌が上手な美少年。

天児屋の発する声は歌のようだと、天照は傍に置いて可愛がった。綺麗なものを愛でたいという気持ちは誰にでもある。

それが今まで自分の近くにはなかった珍しいものであるならば。より一層喜ばしい。

綺麗な珍しいものを見て、ひと時憂いを忘れる。綺麗な珍しいものを見て心を慰める。

歌が上手くて、肌が白くて、身体から藤の花の良い匂いがする美少年。人は自分からDANの遠い人の香りほど、良い香りと認識するという実験がある。

思春期の少女が、自分の父親の汗まみれのシャツを選択する時は臭いと顔をしかめるくせに、汗まみれの恋人と歩く時には男らしいとドキドキするのと同じこと。

生物は近親婚の弊害を避ける為に、自分よりDNAの遠いものを好ましいと思うように法則として組み込まれている。

桜は自家受粉は行わない。自分の木の花粉では受粉しない。違う木の花粉でないと受粉しない。

天児屋は肌から藤の香りがした。その記述だけで天児屋が遠い国のDNAを持っていると分かる。歌が上手で、香りが良くて、顔が良い。この顔が良いというのも、私達の同族にはない顔。堀の深い、珍しい顔ということを表している。

 異国から珍しい声の綺麗な美しい少年。同族でなかったからこそ、天照は愛でた。間違っても自分にとって代わる存在ではなかったからこそ天照は愛でた。

 動物園に行った子供達が、珍しい動物達を見て目を輝かせるように、異国から来た美少年を可愛がった。

 そして異国から来た少年も天照を守り、支えることが自分を、自分達を守ることだと理解していた。

 天児屋が、どこまで天照を支えていたかは伊勢神宮へ行けば分かる。伊勢神宮に祀られている神は天照だけではない。

 伊勢神宮には天照の相伴神、祇侯神として天手力男命と天児屋命も祀られている。伊勢神宮の中でも天児屋は天手力男と一緒に天照の側に傍に侍り仕えている。

 相伴神は、食事をご一緒することの出来る神様。祇侯神は、傍に侍っている神様。天照大御神は、ずっと今でも天児屋を傍に置いている。

 綺麗なものを傍に置いておきたいという女心をくすぐるように、非常に腕っぷしの良い力強い美丈夫と良い香りのする美少年が天照を守る為に傍にいて仕えている。

 天手力男は古事記の中で唯一、天照に触れた神。天照が天の岩戸に隠れた時に、その手を取って天の岩戸の外へと連れ出した神。

 目下のものが自分に触れても、絶対に自分に害しないと分かっている力強い男性、常に自自分を守る立場の力強い男性に腕を引っ張られたら、怒りはするが悪い気はしない。

 天照は、今でも伊勢神宮の中で天児屋と天手力男と共にいる。二神に自分を守らせている。

高野山の奥の院で弘法大師が今でも生き続けているように。

 835(承和2)年3月15日弘法大師空海は、弟子たちを集め「自分は21日に永遠の禅定に入り、弥勒菩薩のもとで皆を見守る」と告げ奥の院で禅定に入った。

それから空海はずっと奥の院で瞑想を続けている。

天照はいつ死んだのか?古事記の中には記されていない。イザナミは黄泉に移った。イザナギは幽宮に隠れた。隠れるというのは死ぬということ。

神様は死なないという考えだから、死の場面は描かれていない。神は人心の仮託。人の心には形がないから死ぬ筈がない。だが死なない生物はいない。

空海は死んだ。けれど弘法大師が見守り続けてくれているという信仰は生きている。高野山は空海がいつ死んだかを記している。

古事記には天照の死を伺わせる記述はない。天照はいつ死んだのか?

伊勢神宮は天照を祀る社。崇神天皇の時代、疫病が流行り多くの人民が死に絶えたことから三種の神器のうち、天照大御神自身の神霊を込めたとされる八咫鏡を皇女倭姫に託して宮中の外へ出した。

倭姫は八咫鏡を祀る地を求めて、各地を彷徨い続け、伊勢へとたどり着いた。倭姫が伊勢の五十鈴川のほとりに宮を建てた時に伊勢を守っていたのは誰だ?

伊勢を守っている一族は藤波と度会。外宮は度会、内宮が藤波。両方とも天児屋の末裔。すなわち藤原氏。

藤波家にいたっては中臣寿詞といって、即位式の時に「天皇陛下に我が一族は従属します」という祝詞を今でも必ず行う。

即位の式の後に藤波家の当主が伺い寿詞をよむ。寿詞を読むのは伊勢の一族だけではない。出雲大社の宮司、千家家の当主も出雲国寿詞をよむ。

「出雲の国は従属します」「藤原家も従属します」それぞれの当主から祝詞をよませる。

即位式において、藤原家を代表するのは近衛家ではなく藤波家。

伊勢神宮を護っているのは神宮司庁だけではなく藤波家。藤波家が護っている。

すなわち天照は藤原氏の牙城の中にいる。牙城の中で守られている。

祝詞は呪文。寿詞は寿ぐ言葉、お祝いの言葉。長生きしてください、という従属する言葉。寿詞が寿詞という名になったのは平安時代。

それまでは、太祝詞(ふとのりとご)と言った。これは神職にはよく知られている言葉。「天津祝詞の太祝詞 (あまつのりとのふとのりとごと)をのれ」

大祓の時に奏上する祝詞の中の一番真ん中のところで、この祝詞を述べよ、という呼びかけに応じる形で祝詞が始まる。

この太祝詞というのは寿詞。今でもこの太祝詞が何かが分かっていない。公には何かと言っていない。

天皇に従属するという寿詞が太祝詞だが、これを知ることが出来るのは寿詞を捧げるものと捧げられるもの。藤原家の当主と天皇しか聞くことが出来ないので知ることが出来ない。だから何が書いてあるかは藤波家の当主と天皇しか知らない。

伊勢は天皇家の国ではなく、藤原家の国。天之御中主神から宗像三神まで神という考えはなかった。「KAMUI」という考えはなかった。この「かんい」という考え方を編み出したのが天児屋。日本語は音に意味がある。もの凄く簡単にと、前置きされて宗匠はこの単語はどのような意味を持つ音から構築されているかを話されました。

「『か』は、開く。もしくは受け入れるという意味です。『』は、閉じる。拒否するという意味です。『い』というのは、力という意味です。そして位置という意味があります。位相の位。ベクトルの位相。ベクトルの在りよう。」

「かんい」という言葉は、この三つの音から成り立っている。続けて宗匠は話されました。「合わせますと『許容して拒否する力』という意味なんです。それが『かみ』なんです。大きく開いていて、固く閉じる。そういう力」

宗匠は、動作として「かみ」を見せてくれました。手を開いては閉じる。そういう力。閉じては、開いて叩く。叩いたら、閉じたものをまた開く。

こういう力を「かみ」ということにしていった。「かむい」

アイヌ語では神様のことをカムイと呼ぶ。言葉というのは円状に広がってゆく。この例としては「日本アホ・バカ分布図」が有名だが、昔、中央で語られていた言葉が時間をかけて、波紋のように広がっていく。

なので古い言葉が、北海道や沖縄に残っていることがある。能登半島、紀伊半島、伊豆半島の端の方で使われている言葉が、奈良時代や平安時代に使われていたのと同じ言葉であることもある。

「カムイ」というアイヌ語が、中央で使われていた言葉が残っているものである可能性ははある。

「か」という開いている力、「ん」という閉じている力のある位置。これを「かみ」と言った。開いて、閉じる位置。

この「かみ」という言葉に、天児屋は、どういう風に意味あいをつけたのか。

「神」というのは見えてはいけない。見えたら神秘性が失われる。絶世の美女として名高いオーストリアの皇妃エリザベート。

彼女が暗殺されたのは、孫もいる60歳を過ぎた時。けれど大抵の人が思い浮かべるのは二十代の時に描かれた彼女の肖像画。

窮屈な宮廷での暮らしを嫌った彼女は旅を繰り返し、晩年になるほど国民の前に姿を現すことは減っていった。

皮肉なことに、それゆえに「欧州一美しい皇妃」として彼女は国民から人気があった。

 神は見えないもの。見えたら力が無くなるもの。声優は声だけならば、どんな役柄も演じられる。声優が俳優として演じるのであれば、自分の容姿にあった役柄に限られる。

自分の姿が見えないのであれば、老いた女性が筋肉隆々のスーパーヒーローを演じることだって可能。

 見えないからこそ力が得られる。神は見えてはいけない。見えてしまったら神にはならない。仏教が入ってくるまで、日本の神には姿さえない。神像がないので男か女かも分からない。

仏教の伝来により、仏像を真似て神像が作られ神に性別が出来た。それまでの神は男か、女かも分からない。語られる話の中で、この神は男っぽい。この神は女っぽいと判断されりだけ。

確実に男性神なのは天児屋だけ。児屋は、こんもりという意味。急に何か起こった時に山を持つのは男子だけ。天児屋は言葉だけでも男子。

日本の神は姿を見せない。性別すらも分からない。大いなる存在として崇めていたのだから性別などなくてもかまわない。

人に似た形がないから崇められる。姿を見せてしまったら神では無くなる。

神様は見えないもの。だから見せないようにしなければならないような状況を作りあげなければいけない。

天児屋が神を作った。すなわち神を見えなくさせた。神は、見えないものという状況を作りあげた。

天照は、いつ死んだ?それは見えない。見えないから、天照は、いつまでも生き続ける。天照は神か?日本の大神様。見えないまま存在し続けるこの国の大神様。

神を作ったのは天児屋。藤原一族は、命を張って、自分達が仕える神を作り出した。

伊勢に御鎮まりになって以来、天照はその姿を一回も出さない。お祭りの時ですら天照は姿を見せない。天照の姿を移した鏡のみ。

天児屋は、天照大御神という大神様を神にあげられた神。そして常に祇侯して、門番として天手力男という神を使い、自分と天手力男以外のものを、いっさい天照の側に寄せないようにした。

天児屋は、常に祇侯して天照の言葉を聞かせてくれる神になってゆく。

作られた人心として、これほど怖い人心はない。

「神様が、そうおっしゃいました。だから全員右を向いていなさい」

 そう言って、右を向いていなさいと命じるのは天照ではなく天児屋。けれど天児屋は、天照の祇侯神。天照の言葉を人々に伝える為に傍に侍る神。

奈良から、朝廷のある大和から天照の神託を得ようと思ったら最低でも五日かかる。そして天照は神託を与えない。

称徳天皇が道鏡を天皇にさせる為に神託を得ようと思った時、勅使を遣わしたのは九州の宇佐神宮。天皇家の祖神である天照を祀る伊勢神宮ではない。

正邪を神に問う為、神託を得ようと思った時、勅使が向かうのは伊勢ではない。天照は神託をしない。人心を動かすだけ。

民に向かい「右に向いていなさい」と言葉を与えるだけ。けれど、その言葉を与えるだけで天照は神になっていく。死ぬことのない神になってゆく。

「天照様が『右を向くように』とおっしゃられた。皆、右を向くように」

 左を向きたいと思っているものも、天照の言葉であれば従う。天児屋に「左を向きたい」と詰め寄るものも

「そなたの気持ちは分かっている。しかしこれは天照様のお言葉なのだ。我々にはどうにもできない。納得するしかない」

と、宥められれば納得するしかない。

そして天児屋が語る言葉が全て祝詞となっていく。古事記で語られる神の全ては、天児屋の言葉によって神になってゆく。人心を神にした神。神様は天児屋が作った人造。

ただし「人心」とは私達が持っている心。名前のない心に名前をつけてくれた功績が天児屋にはある。 そして、その名前が神様の性質を凄く表している。

だから誰もが見えないけれども、その神を形作られるような、イメージが出来るような言葉にしてくれた。

「申す」とは、すなわち「申し上げる」と言って、下から上に上げること。天児屋は「神様の名前を申し上げる」人。

そして私達が、その名前を聞いた時に神様の性質が分かるような音になっている。「つくられた人心」の中で「神づくり」ほど罪深いものはない。絶対不可侵であるものを「つくられた人心」として作っていく。

だが、そのおかげで私達は二千年続く平穏を得た。平穏という言葉を欺瞞というなら否定できない。

けれど、この欺瞞が海の向こうの国々からの侵略を防ぐ盾となったことには間違いはない。八百万の神がいる。それぞれの氏族の祖となる神がいる。

自分達と敵対する氏族でも、その氏族の祖となる神がどういう神であるかは古事記を紐解けば知っている。

海の向こうの者たちのように、どの神を仰いでいるものかすら分からないもの達とは違う。

「神を作った」これを天児屋の陰謀と言おうと思えば言える。でも、その結果、私達は自分達が単一民族だと信じ込むほどの長く続く平穏を得た。

日本人の人口の60%は天児屋の子孫。すなわち渡来人達の子孫。肉も野菜も煮溶けてしまえば、全てカレーのルーになる。

どれほど沢山の人達が海を渡ってやってきたのか。溶け込んでしまえば分からない。それだけ異なる民族、異なる文化を背負った人達を逆らわせずに従わせるには天児屋の言葉を弄する力が必要だった。

コロナ禍が続き、海外での戦争が伝えられ、全てのものが同じ方向を向くことを望む圧力が高まっている。

海外に同調圧力はない?日本ほど同調圧力が強い国はない?そんな言葉は嘘だったことを通信機器の発達は教えてくれた。

世界中どこも同じ方向を向くことへの圧力は高まっている。全てのベクトルが同じ方向へ向くことの危険性を日本人が感じるのは、感じて小説にまですることは、二千年前に多様性を見出した段階で何度も何度も失敗を繰り返しているからだ。

失敗があるということが分かっているから、これが危ないと感じることが出来る。危ないと感じる人達が幾ばくかいる。

けれど、逆に全てのベクトルが同じ方向を向くことを望み、それを望まない人を非難しようという動きも強まった。天児屋の力も増している。

天児屋は祭りも特殊な祭りとなる。天皇家から祭りのたびに勅使が出ている神社が三社ある。上賀茂、下鴨神社の葵祭。石清水八幡宮の岩清水祭。そして春日大社の春日祭り。

これらの神社には毎年祭りのたびに天皇家からの勅使が出る。勅使とは天皇の使いであり、すなわち天皇の代わり。

春日祭の祭りでは、勅使が春日の神からの返事に礼として舞を踊る。天皇家が臣下の春日の神に舞を送る。他の二社では勅使は舞わない。

奈良では祭事の時にヒエラルキーが逆転している。天皇家がもてなしている。すなわち天皇家が一番恐れているのは春日の神。

奈良は為政者の都。政治の地。異国から沢山来た難民、移民、海を渡ってきた人々を抑えられることが出来るのは美しい顔をした紅顔の美少年の発する言葉にしかなかった。

そして美少年の発する言葉が日本人を神にしていく。為政者の都、大和に集う人々の祖を神にしていく。

海を渡って来たもの、元からその地に住まうもの。様々な文化背景をもつものが集まった時、それぞれが納得できる中庸を溶けるものが天児屋だった。

大東亜戦争が終わるまで、神様が天児屋に作られたものであるとは語ってはいけないことだった。隠さなければならない秘事だった。

けれど藤原一族は知っていた。天皇家は藤原一族が支えていることを。日本は、そうやって天朝様という方を支えていた。

天照がいつこの世を去ったのかは分からない。それが分からないように常に見張っている人もいた。

藤原一門が常にその周囲を固めることによって天照は死なない。高野山の奥之院で今でも弘法大師が生き続けているように。

伊勢神宮は天照の霊廟。巨大な陵。聖なる陵の中で天照は今でも生き続けている。

開いて、閉じた強い力。

隠されることによって天照は永遠の神となる。永遠という言葉の中にしか存在しない時。救われたいという誰もが持っている心。

天照が与えた天壌無窮の神勅。天児屋の口を通して語られた天照の言葉。大御神が約束してくれる限りは、この国は滅びない。

「この国は天照大神の子孫が君主として治めるべき地です。行って治めなさい。天地共に繁栄は永遠に続き、窮まることがありません」

一度、故郷を失ったもの達の耳に響く言葉。天照が約束してくれる限り、かの神の子孫を皇統として仰ぐ限り、二度と再び自分達が国を失うことはない。

天児屋は神を作り、自ら作った神に忠誠を誓った。

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