今年の大河、凄く面白いのにFBであまり話題にする人がいないのは何故でしょうね?心理戦がお好みじゃない人が多いのかな?
刀伊の入冠もあったし、合戦好きの琴線にも触れるところ多いと思うのだけどな。前回なんて、武士の台頭と公家の終わりの始まりを予感させるものだったし。
それにしても毎回思うけれど、大石静さん、引きが上手な方ですね。だいたい「ここで終わるの⁈」というところで「続く」にしてますものね。
本当に今年の大河は、脚本が良くて役者が上手い人揃いだと安心して観られるの典型ですね。
そして役者が上手いゆえに、娘の成長と比較してお父さんの成長のしなさがよく目立つ。
ああ、でも政治家としてはお父さんも成長してるのか。初登場時と比べて「影子様、ご立派になられて」と娘の成長が著しいから、つい比較してしまいますよね。あれは確かに、ゴットマザー。
影子様、藤原一族の屋台骨を支える存在になったことを、雰囲気で醸し出してましたものね。(政治面では道長様もそうなのだけど、恋愛面では三郎のまんななのだもの)
そして乙丸が死亡フラグをへし折ってくれて良かった。「紅?紅って、まさか⁈」と心配していた人多かったですものね。
「幸せな場面の後は、地獄の光景が待っている」ということが同じく主人公が女性の大河ドラマでは繰り返されましたからね。皆経験を積むと用心深くなる。
主人思いの従者は、主人思いの従者のまま幸せになって欲しい。乙丸が無事、愛妻にお土産を手渡すことが出来て良かった。本当に今年の大河、脇役のファインプレーが多いですね。そして源氏物語のエッセンスを上手く取り入れていますよね。源氏物語というか、源氏物語の根底にある仏教思想かな。
万物流転、全てのものは変化する。良い方にも、悪い方にも。
変化を受け入れていった人達が、諦観とともに現在の自分と、転がりゆく生を肯定したことで平穏な心持を手に入れているのに対し、愛着にしろ執着にしろ、自分の欲するものへの渇望から逃れられなかった人が、修羅に苦しめられ続けている姿を描き続けていますものね。
これを道隆と道兼。伊周と隆家という兄弟の対比で見せているところがえぐかったですよね。
最初、ダメっ子弟ポジションだった道兼と隆家が己の執着を捨てたことで、自分が固執していたもの以外も見えるようになり、新たな生き様を求めようとしたのに対し、典雅な貴公子であった筈の道隆と伊周が
「典雅な貴公子であった筈の自分」「栄華を極める存在であった筈の自分」への執着を捨てきれず、ずるずる闇落ちしていった姿が、執着を捨てたことで変化していった弟達とは対照的でしたね。
執着は不幸を呼ぶ、というのは公家と武士との対比にもなっていますよね。物語の最後で刀伊の入冠がでたことで、武士の時代の到来を予感させてわけですし。(しかし、あの恩賞談義、現実と被らせて胃が痛くなる人いそう。高位の人達ほど、変化に鈍くて、同階層内での部内政治を優先するって、あるあるですし。)
仏教思想の影響といえば、鎌倉時代、何故あれほど新しく仏教の宗派が起こったのか今年の大河観てると納得ですわ。自分達の考えに合う新しい仏教を武士達が支持したのね。
仏教の考えって、基本的に武士の思想にあっているのですよね。
万物流転、盛者必衰、奢れる者は久しからず。
「油断していたら、うちの一族も没落するぞ。おまえら、気を抜くな!」
という坂東武者のヤンキー魂に仏教はあってる。
奈良時代の僧侶が、国家公務員であったことから分かるように、仏教って平安期までは国家鎮守(もちろん、その中には国家を支える存在としての大貴族達も含まれる)の色合いは強かったと思うけど、鎌倉期以降は
「てめえら、戦だからといって、びびんじゃねえ!俺達には仏様がついてる!戦に出る前にちゃんと加持してもらったじゃないか!普段から大切にしている俺達を仏様が見捨てるもものか!やることやってりゃ俺達は勝てる!」
だったような気がするんですよね。戦勝祈願なら、神様じゃないか?というツッコミはあるでしょうけど、明治期までは神仏習合時代で神さまと仏さまはセットでしたからねえ。今でも関東地方は神社の隣にお寺さんがあるところは珍しくないし。
(近畿や九州のお寺さんは明治の廃仏棄釈時に相当苦労しただろうけど、東国は従った振りだけして、裏では従わなかったところが相当ありそうですし)
平時の同族争いを避ける為にも仏教は有効活用できるし。(以前、お坊さんに、お話を伺った時
「日本の神様というのは、いわば私達のご先祖です。従って、やっていることが大変、人と似ている。兄弟で喧嘩をする。女神を巡って争う。
そういう自分をどうにかしないといけないと神様が思っていた時に、海を渡って仏教がやって来た。
『これは、いい!これを実践したら自分は変われる。仏教のことを勉強しよう!』そう思った神様が明神様です。
智慧のない昏さで、争い続けていた神様が、仏教を学ぶことで、より良い方向、智慧のある明るい方向を目指すようになった。
だから仏教を守護する神様を明神様と呼ぶのです」
と、いうことを話されたのですが、神様でさえ自分を律する為に仏教を学んだのだから、武士団が統制を取る為に仏教を日常に取り入れない筈がないですよね。)
今年の大河も今日が最後ですが、終盤が近くなってから
『今年の大河は、視聴率が低い失敗作」系の記事をおじさん雑誌系のコラムで見かけるようになって、ああ、やっぱり起きている変化を読み取れない人は、自分の主張の根拠にしやすいものだけで、理解しようとするんだな、ということが分かって面白かったです。
おじさん雑誌系のコラムでも「『視聴率が低いから失敗作』と断じるのは正しいのか?」と疑問符をつけた記事が出たから、世のおじさんと呼ばれる層が変化に疎いわけではないのでしょうけど、奈良県知事の大滑りが話題になっているからなあ。
あれ、決定権のあるおじさんがよくやる「これ、今の若い人に流行ってるんだよね?」という受けると思ってやった結果の大滑りのような気がしないでもないですね。
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