慎・古事記の神

「子供に日本の神話について本を贈るなら?」という問いかけがあれば、まず候補としてあがるのは、松谷みよ子さんが書かれた日本の神話の本ですが、松谷さんの日本神話に対する想いは二律背反なものがありました。
 松谷みよ子さんは大正15年の生まれ。大正という、明治と昭和に挟まれた、ほの明るい時代の最後の年に生まれた松谷みよ子さんは、古事記を疑うことなき歴史書として一つの読み方しか許さない人々が大きな声をあげて国を支配していた頃に多感な少女自体を過ごしました。
 敗戦時には、松谷みよ子さんは19歳。ほぼ同年代の詩人、茨木のり子さんは自分の青春時代をこう詠いました。

 わたしが一番きれいだったとき
 街々はがらがら崩れていって
 とんでもないところから
 青空なんかが見えたりした

 わたしが一番きれいだったとき
 まわりの人達がたくさん死んだ
 工場で 海で 名もない島で
 わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

 わたしが一番きれいだったとき
 だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
 男たちは挙手の礼しか知らなくて
 きれいな眼差しだけを残し皆発っていった

 己が書いた詩について茨木のり子さんはこう書き記しています。
「その頃『ああ、私はいま、はたちなのね』と、しみじみ自分の年齢を意識したことがある。眼が黒々と光を放ち、青葉の照りかえしのせいか鏡の中の顔が、わりあいきれいに見えたことがあって……。
けれどその若さは誰からも一顧だに与えられず、みんな生きるか餓死するかの土壇場で、自分のことにせい一杯なのだった。十年も経てから『わたしが一番きれいだったとき』という詩を書いたのも、その時の無念さが残ったのかもしれない。」

 古事記に一つの読み方しか許さない人々が招いた戦争が国を荒廃させ、恋する男性と他愛のない会話をすることが、はたちの若い女性にとっては贅沢品であった時、松谷さんの心の慰めたのは、恋を謳い、愛し、争い、慈しみ、心のままに生きいきと過ごす古事記の神々の姿でした。

 古代に生きた人々の願い、畏れ、祈り。

 これが正しいと一つの読み方だけを強いる人々の狭量さを笑い飛ばすかのように、おおらかに、無邪気に、生きいきと古事記の中で息づく神々の姿は、年若い松谷さんを魅了しました。
 この豊かさを子ども達に伝えたい。そう思った松谷さんの願い通りに「松谷みよ子の日本神話」は作者が鬼籍に入った後も子供達を楽しませています。
 古事記に一つの解釈しか許されない時代に少女自体を過ごした松谷さんは、古事記を歴史とは切り分け、古代に生きた人々の豊かな想像力から生まれた物語として愛しました。

「古事記についての講座を開かれている」とお聞きして、クラブワールドを初めて訪れた時、五摂家の中で歴史と文化を司る二条家の当主であり、香道桜月流の元お家元であり、桜月宮宮司である二條隆時宗匠は、私達にむかってこう語られました。
「古事記は、歴史書です」
 古事記は、ふることふみ。暗喩で描かれた歴史書。語られる物語に何が含まれているのか分からない人には、心躍る物語として楽しませ、その物語が意味するところが何か?を知る人には隠された意味を伝える。
 どのような解釈をするのかによって、古事記はまるで違った様相を見せる。これは二条家に伝わる古事記の解釈の仕方の一つ。
 宗匠が語られた話があまりに深いので、それを理解する為に伺った話を整理し、私なりに解釈した覚書をここに記します。
 これは宗匠が語られた古事記の話の解釈の一つ。ご自分なら、どのように解釈されるかは、宗匠が直接語られるお話をどうぞ、お聞きになってください。
株式会社クラブワールド(https://www.club-world.jp/kojikineo )

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